まずは長浜から青瀬に向かう軽い登り坂
青瀬の先から旧道を通るべく
この会場桟道、何か伊豆っぽいと感じてしまった。
瀬尾観音三滝の上段が見えてきた。
折角なのでちょっと上ってしまったが
一旦戻って滝まで行ってみようということで
下段の滝まで遊歩道だが特に
表示もないので自転車で行ってみる。
折角なので二段目三段目が見える展望台まで登ってみる
写真家Tかだ!
例によって観光客は皆無だし
意外と良いところだった。
手打までルートを変えて
この二本の超大トンネルの新道を通る。
トンネルを抜けて手打の街へ下るのだが
途中放牧地があって牛がいてり記事が横切ったり。
そしてあのDr.コトーのモデルとなった
手打診療所へ
YouTubeでは平田先生と混同してて間違えてしまったが
コトー先生のモデルは
瀬戸上健二郎先生だそうで。
平田先生は青瀬ちくの医師でもう少し前の方だそうで
もう瀬戸上健二郎先生はいないが一応記念写真だけ。
思ったより立派な診療所で
多数の研修生を受け入れていた証でもある。
武家屋敷通り通るの忘れてしまったが
しばし手打の砂浜沿いの島では貴重な平坦な道を
そしてすぐに当たり前のように10%勾配。
標高200mほどのピークから左折して
激坂下って甑島南端の釣掛崎灯台へ。
見下ろす海岸崖と奇岩が
絶海の孤島感を醸し出す。
再び激坂を登ってルートに復帰後すぐに
キリシタン殉教の地
悲劇の場所も今は絶景の展望所
これから右上に少し見えている牧場を通っていく
牧場のなかは15%はあろうかという激坂。
登り切ったら今度は激坂下りで
200mの標高を一気に吐き出したかと思うと
再び激坂で標高400mまで登るという激しさ。
そして再び少し下ると
先ほど瀬戸上先生と間違えた平田先生の句のところ。
昭和40年代後半まで甑島には車道がほぼなく
歩いて峠越えの診療の時に
ここでビル街の蜃気楼を見たという話。
ただ今はここから見えるのは蜃気楼ではなく絶景。
ナポレオン岩と展望台を通って長浜へ向かう
九十九折れの長い上り坂が見える。
そしてやはり激坂であっという間に標高350mを下る。
下ったところが瀬々野浦。
道は集落には入らずそのままショートカットで
長浜方面へ続いているが
折角なので補給がてら街へ。
この人口100名弱の後期高齢者率ほぼ100%の街は
なんだかある意味桃源郷のよう。
軒先にたくさんいるばあさんに道を聞きつつ
何とか1件だけある店に着いた。
ここでもやはりよそ者は珍しいのか
「年金暮らしにとってここは天国だから
引退したらここに引っ越しておいでとずっと口説かれ・・・」
そして再び本線復帰して登り始める。
ここからの登りは一桁%の普通の登り。
すぐにオリンポスの丘のような
ナポレオン岩展望所に着く。
ナポレオンの横顔の形のこの岩は
高さ100m以上あるがちょっと遠くて
先ほどの瀬々野浦港からのほうが
迫力がある眺めかもしれない。
まあ今日帰らなければならないので
このなんだか時間のスピードがゆっくりなこの場所から
脱出しなければならない。
長浜へ帰る坂は瀬々野浦から一桁%の登りで
やっと普通に登れる坂。
ただ標高は400mを超えおそらく島の車道最高地点を超える。
桃源郷のような瀬々野浦の街と港を見下ろす。
もう一生来ることはないかもしれぬ。
そしてこの自衛隊の何かの施設のところが
(おそらくレーダーへの荷下ろし地点?)
結局今旅のチマコッピ 標高405m位?
あとは長浜まで下りのみ。
無事お昼ごろ長浜到着。
宿でシャワーだけ借りて帰りにしたくして
200m位は走ってフェリー乗り場へ
そして反省会。
そして昼ご飯はカルビ丼。
九州醤油らしく甘めのカルビ丼だった。
ごはんお替り大盛無料!
待合室にはDr.コトーのポスターが
そしてフェリーがやってきた。
14:20発で行きの反対の行程で
羽田に着くのは22時過ぎの予定。
無事串木野駅。
きょうは予報より天気が良く終日ほぼ快晴。
二日間ともかなり暖かいというより暑い快晴の
絶好のサイクリング日和だった。
串木野駅ホームの名所案内には一番に甑島が!
結構遠いと思うのだが
鹿児島空港に着いた時には夕飯の時間になってしまっている。
空港のレストランで鶏飯バイキング。
お変わりは当然自由。腹いっぱい食えた。
ご飯を食べ終わって外を見たらびっくり
雷交じりの豪雨になっていた、。
この雷雲のおかげで結局40分遅れのフライトとなった。
行きも20分遅れから始まって今回のJALは遅れる。
と言うことで順番的に
もう一生行けないかなと思える孤島の甑島
何か時間の流れがとてもゆっくりで
二日間とも快晴だったのもあって
激坂ばかりなれども楽しいサイクリングだった。
走行距離 45km
獲得標高 1450m
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