源氏三代の幕府がおかれた地。
大蔵幕府跡は今は全体が清泉小学校である。
頼朝の墓のすぐそばであるが
立ち止まる人はほとんどいない。
宇都宮辻子幕府跡
宇都宮稲荷神社の前に辻子幕府跡の石碑がたっている。
ここへの標識もなく地図にも載っていないためか
地元の人以外ここを訪れる人は皆無。
政子の死後、北条泰時がこの地に幕府を移した。
この地で泰時は御成敗式目を作り
源氏政権から北条政権への足がかりを築いた。
若宮大路幕府跡
ここも外の道からは道標もなく訪れる人もいない。
人がやっとすれ違えるような小道の脇にひっそりと。
写真もこれ以上引くには人家の中に進入しなければならない。
辻子幕府もいろいろ不幸が重なり
わずか10年ほどでこの地に再度移された。
その後泰時、時頼らの徳政が続き
北条政権は最盛期を迎えるのである。
そして幕府終焉まで幕府はここを移ることはなかった。
東勝寺跡(左)、北条腹切やぐら(右)
北条得宗終焉の地
太平記人気が今でも続いているせいか
わかり易い名前のせいか知らないが
さびしい場所なのに人がいっぱい。
新田義貞軍が若宮大路まで攻め入ったことを知った
北条高時はここで一族郎党とともに
ここで自害し鎌倉時代が150年で幕を閉じた。
ここで自害したその数は800余名とも言われる。
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