留萌本線が留萌に行かなくなるまであと1か月。
休日は混んでるのかなと思い
平日に日帰りで撮影旅行に
朝一のスカイマーク703便で新千歳
今日のお供は新型ノートe-power
2時間走って
まずは真布駅前の有名ポイントへ。
流石に数人の同業者がいたが
数人なので何の問題もなく和やかに撮影終了。
留萌本線が留萌に行かなくなるまであと1か月。
休日は混んでるのかなと思い
平日に日帰りで撮影旅行に
朝一のスカイマーク703便で新千歳
今日のお供は新型ノートe-power
2時間走って
まずは真布駅前の有名ポイントへ。
流石に数人の同業者がいたが
数人なので何の問題もなく和やかに撮影終了。
鬼神の刃化されているSLみなかみに乗った。
高崎駅で。
今秋はこのヘッドマーク。
アルミサッシ化されちゃったんじゃと言う疑念があった
もはや現役最古の客車になった「スハフ32 2357」
よく見ると鬼神シールが窓に貼ってあるだけで一安心。
高崎の旧客も今秋大幅リニューアルと言う暴挙を受けたのだが
JR東もこの車両の貴重さはわかっているのかどうか
この車両だけは車内は現役時代のままで一安心。
最近出来て話題の道の駅 あびらD51ステーションに行った。
噂通り駐車場待ちができるほどの賑わい。
追分駅近くの鉄道資料館から持ってきた
D51 320号機も相変わらずきれいである。
本当は最後の営業列車(貨物列車)を牽いた
D51 241号機が保存されるはずだったが
追分機関区とともに全焼してしまったので
急遽320号機が保存されたといういわく付きのカマである。
区名標にはもちろん追分機関区を示す「追」が
これを見るまでは素晴らしいと思っていたが
旧鉄道資料館に行って目が覚めた。
札幌を10時過ぎに出てのんびりまずは
南大夕張のこいつに挨拶して・・・。
今回の旅の主目的はこれ。
シューパロ湖拡大で沈んでしまった鹿島地区に
公式には入れる行事はこれが初だそうで
北海道では新聞やテレビに取り上げられて
かなり話題だったそうで
そういえば南大夕張とかシューパロダムとか
過去に見られないほどの人出で何か嫌な予感が
国道の記念碑を過ぎたあたりから渋滞し始め
普段は入れない旧道の(大夕張炭山側)ゲートを入ったら
こんな感じでおそらく大夕張100年の歴史上初の渋滞?
結局駐車場に入れるようになるまで1時間半ハマった。
いよいよ元幌内駅跡の三笠鉄道記念館に入る。
やはり生の蒸気機関車。
300円払って乗車。
このS-304、日車製産業用Cタンクで
新日鉄室蘭からテツゲンへと移籍しつつ
長く室蘭で工場内の入れ替えをしていた機関車で
サイドタンクのテツゲンの赤い文字が特徴。
ちゃんと石炭燃やして走る。
早速後ろのトラ改造の客車に乗る。
三笠近くまで続いている旧幌内線の線路を走るのかと思ったが
それはトロッコ列車だけであって
さすがにSLは構内運転にとどまる。
もう夕方で今日最後の運転だったので
構内の往復終了後客車を切り離して
単機で車庫に帰る。
やっぱり生きたSLは産業用入れ替えタンクでも楽しい!
前回の清水沢から南大夕張駅跡のここへ。
前回は客車を中心に載せたので今回はセキ2両を。
まずはセキ1。
外板などそっくり張り替えられて
ぱっと見セキ3000みたいであるが
元をたどれば明治44年製のオテセ9500の
セキ1形セキ118.
鉄道院-国鉄-旭川電気鉄道-大夕張鉄道と流れ着いた。
現存する最古の石炭車だそうだ。
そしてもう一両のセキ2。
セキ1よりリベットが残ってたり古めかしそうだが
こちらはぐっと新しい?昭和9年製。
こちらも国鉄-旭川電気鉄道-大夕張鉄道と流れ着いた。
こちらはセキ1000形のセキ1217.
南大夕張の保存車両を満喫したら
ずっと上り坂の2キロ以上あるシューパロトンネルをくぐって
水没した鹿島地区へ
渡道解禁になったといえいつもより空いているためか
スカイマークがだいぶ早着になったため
南千歳で少々撮影タイム。
去年の春までは千歳発の夕張行きだったこの
キハ40の単行は大幅に短縮になって追分行きになった。
乗車したのはこの春から新車のキハ261になった
おおぞら3号。
キハ283時代のSおおぞらと比べると
振り子廃止によるスピードダウンと
最高速の10キロアップが相殺されて
新夕張までわずか数分遅くなるにとどまっている。
前日に北海道入りして初日はニセコで
本当は夕張の雪下ろしかもしれなかったのだが
歴史的小雪のためこの段階ではその必要もなかったみたい。
雪の降る札幌を6:30に出て
この富ケ岡の跨線橋へ。
同業者他に二組。
撮影可能時間最初の5423Dを迎え撃つ。
来ました。
浦臼行き5423D
ここ以外に長い玉が必要で
EOS5DMk4+EF70-200mmF2.8LUSM+エクステンダー1.4Ⅱ
で280mmでこの画角。
ばっちり決まった!
雪はいつの間にか止んで多少明るくなってきた。
この超秘境駅、「生活利用者はいるのか?」
と某番組で団長がロケに来そう。
自治体による補助金が切れる2020年以降
存続が危惧される名鉄蒲郡線に乗ってきた。
manaca非対応でしかも有人改札の名鉄蒲郡駅。
やはり思い切り昭和レトロ感が漂う。
名鉄蒲郡-蒲郡競艇場前は不似合いな高架線になっている。
折り返しの吉良吉田行きがやってきた。
普段はワンマン対応化された6000系3本での運用だが
今日は6800系が代走している。
したがって珍しく車掌が乗務する。
平日日中ということもあるのか
予想通り車内はガラガラ。
2両編成で乗客は全部で3,4組。
そして再び新夕張。
レンタカーを駅の駐車場に入れて15:56の列車へ。
この沼ノ沢の入った駅名標も3月いっぱい。
ご存知松本 零士サイン入りの
夕張線のラストを告知するポスター。
間もなく見納めの夕張行。
ちなみに次の千歳行きは
この夕張行の折り返してきたもの。
23日、夕張線の朝の2往復を撮影した後
いよいよ今回の主目的の一つ
夕張石炭博物館SL館の雪下ろしへ。
10時前に現地到着、すでにもう始まっている。
屋根に上がる梯子結構高くて怖い。
予報ほど天気が良くなく
小雪が舞う天気。
このデゴイチはかなり傷んでいるように見えるが
張りぼてなので建物には易経ないらしい。
写真だとイマイチわからないが
結構地面との落差がある。
雪庇がかなり張り出していて
恐らく今立っている場所位が
屋根との境目。
21日夜の地震でJRや地下鉄が朝まで運転中止したため
新千歳空港には帰れなくなった人が停泊しているらしい。
そして夕張支線を含む石勝線は昼まで運休ということで
大いなる不安を抱えて渡道。
いざ着いてみると空港は普段通りで
地震の影響は全く感じられない。
レンタカーやの送迎の人によると
地震の揺れはかなり大きいものだったが5秒くらいの
非常に短いものだったそうで
長かったらやばかったかもしれないという話だった。
今回はルフト・トラベルレンタカーといういわゆる格安レンタカーを使ってみた。
二日で2千円ほどで免責免除になる保険が二日で2千円の計4千円。
事前にウェブチェックインをしていたので
レンタカー屋に着くとすぐに車を受け取れた。
ちなみに千歳はレンタカー会社はまとまって所在していて
トヨタレンタカーとオリックスレンタカーの間にあった。
待合室がプレハブだったりするだけで
立地など他のレンタカー屋に対して不利なことはあまりない。
飛行機が千歳に着いてからレンタカーに乗り始めるまで30分ほどで済む。
まあ石勝線が前述のとおりなうえに
地震の影響もわからないので
安全そうな道東自動車道で夕張へ向かう。
2/22から23にかけて最後になるであろう夕張線の撮影旅行に行った。
前日夜の地震のせいで飛行機などは問題なかったが
石勝線や夕張支線は午前中運休となり
夕張支線はこの清水沢を16時過ぎに通る便が
開通一番列車となった。
とりあえず第1弾は撮影編として
2019/2/22 16:09 清水沢駅
Canon EOS 5D Mark IV
EF24-105mmF4L USM
清水沢から同じ列車の後追い。
鹿ノ谷方面。
上の筋の折り返し。
鹿ノ谷にて
Canon EOS 5D Mark IV
EF24-105mmF4L USM
山の中に大きなRCの団地群があるのも夕張らしい。
団地群の前の木に大きな鷲のような鳥が写っている。
真岡鐡道のキューロク館で月一で行っている
D51146の運転体験が抽選で当たったので行ってきた。
さすがに鉄道で行くと真岡は遠い。
横浜から4時間かかって昼過ぎにようやく到着。
補助用のこのDE10が故障中のため運休中のSL列車用の
50系客車とともに留置されている。
早く直ってほしいものである。
この真岡駅、結構いろんなものが置いてある。
このキハ220もその1両。
他にもう1両キハ20と屋根が抜けちゃっているが
車掌車など数量が。
3回に分けて搭載の夕張も最終回。
いよいよ南大夕張のあの客車の保存場所へ到着。
2014年に行ったときとまったく同様に綺麗に保存されている。
ラッセル車や石炭車なども保存されているが
今回は3両の客車を中心に。
まずは3軸台車を履く有名なスハニ6。
大正2年製の鉄道院基本型客車のオロシからの鋼体化車輛であるが
同じ系列炭鉱の美唄鉄道からの移転組。
最晩年になって荷物扉を今の位置に移設しているが
前の荷物扉の跡が今もくっきりと残っている。
若菜から幸せの黄色いハンカチ広場へ行く道を横切ると
サイクリングロードは一旦一般道に合流する。
かつて平和へ続くオメガカーブの前半の
大築堤部分は拡張されて一般道となっているが
ほどなく道路と別れまたサイクリングロードになり(少し散らかり気味)
跨線橋で夕張線を越える。
そして今は運動公園となった平和坑の跡地を
取り囲むようにオメガカーブは続く。
後の北炭化成工業所の大煙突は昭和のママ。
平和駅跡にサイクリングターミナルがあるが
当然閉鎖されて他の廃墟の仲間に加わりつつある。
この先でサイクリングロードは放置状態になって
その後のトンネルはふさがれて通れないので
道道3号のトンネルで反対側へ。
シャープ・スチュワート社の製造銘板も誇らしげに。
この12号機は元をら出せば
鉄道開業後の2年後に増備された23号機というのは
前半で述べたのだが
最初の10両のうち開業時にお召列車を牽いた2号機を含む4両の
増備型である。(160形蒸気機関車)
前期型に比べるとキャブ回りやコールバンカなどが
少々近代的なデザイン。
150歳になろうかという大古参に牽かれる客車も
当然明治時代のもの
3両とも羽後交通から持ってきたもの。
この最後尾は元新宮鉄道のハ13、明治45年製。
1両目のハ14も同形車両。
昭和40年代まで生き残っていたため明治村の保存車輛に
大抜擢されることとなった。
オープンデッキ、2重屋根の典型的な地鉄木造単車。
中間のハ11は同じ羽後交通組でも
元青梅鉄道の車輛。明治41年製で
他の2両より形態がもっと古典的で
2重屋根の形態など明治中期の流れのデザイン。
新千歳空港から南千歳へ出て乗換。
東胆振地震の影響で夕張行きの普通の千歳追分間と
その前の千歳追分の往復分が運休になって
その代替として一部の特急の南千歳追分間が
特急料金が不要となっている。
乗換時間までだいぶん時間があるので
撮影タイム。
733系快速エアポート。
札幌圏内もすっかりロングシートの車両が多くなった。
キハ261のスーパー北斗。
キハ261も大半がこの新塗装になった。
最初何かかっこ悪いと思っていたが
見慣れてくると意外にかっこよい?
名鉄特急で犬山へ。
折角なのでガラガラな有料座席の
展望室最前列を(列車的には一番後ろ)。
犬山到着。ここからバスで明治村まで20分とあったが
五郎丸経由だったので踏切を何回もわたるためか
渋滞気味で実際には30分くらいかかった。
普通ならば正面入り口から入ると重文の三重県庁を見るのだが
目当てが明治村の鉄道遺産なので
その向かいのここへまっしぐら。
明治22年の鉄道局新橋工の建物。
昭和40年代には国鉄大井工場に移設されて使用されていたのを
持ってきたそうだ。