碓氷鉄道文化むらに保存されているマイネ4011の
車内公開が久々にあるというので行ってみた。
さすがに野外展示なので厳しい状態だが
予算の範囲内ではあるのだが
順次塗り替えられたりはしているみたいだ。
隣のD519と同時の公開で
基本的に感染症対策のためか2,3人ずつの
案内となっているみたいだ。
で早速中へ。
碓氷鉄道文化むらに保存されているマイネ4011の
車内公開が久々にあるというので行ってみた。
さすがに野外展示なので厳しい状態だが
予算の範囲内ではあるのだが
順次塗り替えられたりはしているみたいだ。
隣のD519と同時の公開で
基本的に感染症対策のためか2,3人ずつの
案内となっているみたいだ。
で早速中へ。
MAXもいよいよ2021秋で引退と決まり
雪と融雪シャワーとの組み合わせも最後の冬となる。
ちょっと暇を見つけて朝早く湯沢へ。
MAXではないがまずはこちも
引退もそう遠くないと思われるE2のたにがわ404号を後撮り。
この駅は上り後撮りが一番うまく取れるようだ。
そして国境の長いトンネルを抜けてきた
ガーラ湯沢行きのMAXたにがわ73号。
通常の状態なら16両で来るのであろうが
8両編成の少々寂しい姿。
11番線に到着するのであるが先客がいたので
大綱の13番線より撮影。
この駅はホーム端が狭くて撮影しずらいのであるが
案の定はみ出て撮影していたらしく
警告のホーンとともに徐行で入場。
頼むから危ない真似はしないでほしい。
そしてMAXとき306号東京行は
30日に乗った時は13番線入線だったからそうだと思たものの
14番線に入線してきたため対抗ホームからでは無理で
とりあえずこんな写真でお茶を濁す。
とりあえずだけどちょっとだけシャワーMAXを撮影したということで撤収。
トレジャータウンのレジンのキハ56ボディが
トレジャーの通販でまだ在庫があったので買った。
買ったのはキハ56平窓後期+キロ26のセット。
キロはすでに同じものも含めて2両あるのでまあいいと思ったが
セットしかないので。
平妻後期と言うと
キハ56の138から151でテールライト外ハメ式で
トイレ窓が小窓になったちぷで
当然TOMIXでは製品化はされていないタイプ。
このボディ、そのままだと室内灯などが透けるという話なので
プライマーを吹いたあと、ガイアの遮光ブラックをボディ裏表に吹いて
その後下地もかねてサーフェイサー#1500を吹いて
それから塗装に入った。
赤はクレオスのシャインレッド。
あとそのままだとドア下の小窓が埋められた後の状態なので
開けなおした。1.2mmだと小さくて入らず
1.4mmにしたら少し大きかった。
鬼神の刃化されているSLみなかみに乗った。
高崎駅で。
今秋はこのヘッドマーク。
アルミサッシ化されちゃったんじゃと言う疑念があった
もはや現役最古の客車になった「スハフ32 2357」
よく見ると鬼神シールが窓に貼ってあるだけで一安心。
高崎の旧客も今秋大幅リニューアルと言う暴挙を受けたのだが
JR東もこの車両の貴重さはわかっているのかどうか
この車両だけは車内は現役時代のままで一安心。
今回は
まだ特急「桜」と命名される前のの3,4列車に使用されていた、
かつ山陽線特急列車横転事故によって顕在化した
木造車の高速運転時における安全性の問題から
短命だった大型3AB車の中でも特に短命だった
スハ28400、スハフ28800系列を作成。
使ったのはこりん堂のペーパーキット。
台車もTR71がペーパーで発売されている。
このキット、屋根もペーパーなのだが
他の客車とのバランスを考えて
旧キングスのプラ製の2重屋根をインストールした。
長さと端部の形を調整して・・・・。
妻板の作成方法がちょっと間違えていて
紺のままだと平妻になってしまう。
160形に続いて発売された150形(1号機関車)。
実物はイギリスバルカンファウンドリー社から輸入当時、
使用実績が芳しくなく
10年もたたないうちに転属、大改造されたのであるが
モデルは160形は明治中期くらいの時期なのに対し
この150形は輸入当初の姿。
少し発売から時間がたってしまったが最古客車も含めて
目標は桜木町の急横ギャラリーのこの編成ということで
このキット、一部パーツに不良がある(必要な穴が貫通していない)
があり電話すると修正部品が送られてくる。
下の切り抜いたパーツが修正部品。
上のエッチング版の真ん中のパーツが不良品。
旧横の1号機関車は少し明るめの緑色。
鉄博の保存機は真っ黒に赤のライニング。
旧交通博物館時代は英国調のグリーンだった。
前述のように使用実績があまり芳しくない150形は
錦絵などにもほとんど登場せず
(錦絵はシャープスチュアートの160形がほとんどで
あとはエイボンサイトのA3形やたまに改造前の190形が出てくるくらい)
正確な色どころか大まかな色も実ははっきりとしていない。
作例ではやはり黒以外だと緑系統が圧倒的なので
今回は緑系統で攻めることに。
桜木町で復元された鉄道開業時の最古客車の中等車。
鉄道開業時の車両でいつも問題になるのは
カラー写真など存在しない頃なのでその色なのだが
JR東日本の最近の解釈はこの色らしい。
その筋の人々の間では桜木町色などと噂されている。
と言うことでIORI工房の中等車のキットで
桜木町色を再現することに。
マスキングではなく車体の木枠を接着前に塗り分けることにする。
ベースはクレオスのレッドブラウン。
木枠に色だが実際にいろいろとやってみて結果
かなりの厚塗りになってしまったのだが
GMカラーの黄さび色をベースに塗って
その上からクレオスのGXクリアオレンジの塗り重ね。
窓枠とマンセルホイールは
クレオスのサンドイエローにGXクリアオレンジ。
と言うところに落ち着いた。
あまり混色させても何両も同じ色にできないのでそこは
ある程度で妥協。
桜木町の旧横ギャラリーに保存されている
鉄道開業時の1両の110形機関車と復元された最古客車レプリカだが
鉄道開業の日(10/14)を記念して18日まで
CIALか館内の店(スタバと成城石井)で500円以上買い物して
そのレシートでそのレプリカ客車の車内が見学できるというので
早速行ってきた。
立ち寄りがてら成城石井で500円の買い物って
意外と難しい(飲み物や軽食などの品数がないなど)のだが
なんとか500円以上かってこの入り口から客車内に入る。
車内に入ると当然まだ新製間もないので?真新しい木の香りがする。
レプリカ客車は中等車(グリーン車)。
今の感覚とは違い中等上等車はロングシートで
下等車は狭いコンパートメントだったそうで
この車両も長ーいロングシートが。
ただ奥行きも深くクッションもふかふか。
クッションに関しては明治初頭の当時に
こんなふかふかな感じだったかは不明。
この辺は雰囲気が似ているかしわ台の
神中鉄道の木造車とは明らかに異なる。
blogに勝手に載せてよいのかわからないが
とあるところで見た昭和初期の沼津の写真に
C51208号機が写っていた。
テンダーは燕仕様のままで給水ポンプ一変形のままでデフ付き。
おそらく昭和10年過ぎくらいと思われるが
もちろんテンダーの10000km限定表記はない。
反対側の写真はないがこの様子だとおそらく
単式コンプレッサーのままだと思われる。
と言うことで早速ワールド工芸の208号機キットを手に入れて
定番工程のキャブからの組み立て。
ちなみにこれもどこからか出所が今となっては不明だが
燕牽引指定機だった171号機のデフ付き。
編成から見るとおそらく燕をけん引していると思われる。
スハにはダブルルーフのようだし
丹那トンネル開通前?
最近出来て話題の道の駅 あびらD51ステーションに行った。
噂通り駐車場待ちができるほどの賑わい。
追分駅近くの鉄道資料館から持ってきた
D51 320号機も相変わらずきれいである。
本当は最後の営業列車(貨物列車)を牽いた
D51 241号機が保存されるはずだったが
追分機関区とともに全焼してしまったので
急遽320号機が保存されたといういわく付きのカマである。
区名標にはもちろん追分機関区を示す「追」が
これを見るまでは素晴らしいと思っていたが
旧鉄道資料館に行って目が覚めた。
札幌を10時過ぎに出てのんびりまずは
南大夕張のこいつに挨拶して・・・。
今回の旅の主目的はこれ。
シューパロ湖拡大で沈んでしまった鹿島地区に
公式には入れる行事はこれが初だそうで
北海道では新聞やテレビに取り上げられて
かなり話題だったそうで
そういえば南大夕張とかシューパロダムとか
過去に見られないほどの人出で何か嫌な予感が
国道の記念碑を過ぎたあたりから渋滞し始め
普段は入れない旧道の(大夕張炭山側)ゲートを入ったら
こんな感じでおそらく大夕張100年の歴史上初の渋滞?
結局駐車場に入れるようになるまで1時間半ハマった。
北海道の急行型気動車では一番最後まで残ったグループなのに
なぜか製品化に恵まれないキハ56,27モデルチェンジ車(パノラミックウインドウ)
K.L labさんからレジンボディが出ているので取り寄せてみた。
過去にはトレジャータウンからもレジンボディが出ていたのだが
うちにもキロ27非冷房改造冷房車(大多数グループ)が
レジンという素材の不安もあってずっと塩漬けになっていた。
先日の燕C51に続きワールド製大型蒸気キット。
特急テンダー仕様が欲しかったが
手に入らなかったので通常テンダー版。
まあこの手の製品ではけん引力はあまりあてにならないので
戦前の金属製客車の長編成を牽けることは
まず期待できないから特急仕様でなくてもよいか・・。
説明書は相変わらず作業の順番なんて教えてくれないから
テンダーからかボイラーからかキャブからか
といろいろ作り方があるが
テンダードライブのこの手のキットは
キャブから組み立てるのが精神的な負担も少なくよろしいかと。
相変わらず取り掛かり始めはいろいろ失敗も多いが
なんとか塗ってしまえばわからない程度には。
いよいよ元幌内駅跡の三笠鉄道記念館に入る。
やはり生の蒸気機関車。
300円払って乗車。
このS-304、日車製産業用Cタンクで
新日鉄室蘭からテツゲンへと移籍しつつ
長く室蘭で工場内の入れ替えをしていた機関車で
サイドタンクのテツゲンの赤い文字が特徴。
ちゃんと石炭燃やして走る。
早速後ろのトラ改造の客車に乗る。
三笠近くまで続いている旧幌内線の線路を走るのかと思ったが
それはトロッコ列車だけであって
さすがにSLは構内運転にとどまる。
もう夕方で今日最後の運転だったので
構内の往復終了後客車を切り離して
単機で車庫に帰る。
やっぱり生きたSLは産業用入れ替えタンクでも楽しい!
前回の清水沢から南大夕張駅跡のここへ。
前回は客車を中心に載せたので今回はセキ2両を。
まずはセキ1。
外板などそっくり張り替えられて
ぱっと見セキ3000みたいであるが
元をたどれば明治44年製のオテセ9500の
セキ1形セキ118.
鉄道院-国鉄-旭川電気鉄道-大夕張鉄道と流れ着いた。
現存する最古の石炭車だそうだ。
そしてもう一両のセキ2。
セキ1よりリベットが残ってたり古めかしそうだが
こちらはぐっと新しい?昭和9年製。
こちらも国鉄-旭川電気鉄道-大夕張鉄道と流れ着いた。
こちらはセキ1000形のセキ1217.
南大夕張の保存車両を満喫したら
ずっと上り坂の2キロ以上あるシューパロトンネルをくぐって
水没した鹿島地区へ
渡道解禁になったといえいつもより空いているためか
スカイマークがだいぶ早着になったため
南千歳で少々撮影タイム。
去年の春までは千歳発の夕張行きだったこの
キハ40の単行は大幅に短縮になって追分行きになった。
乗車したのはこの春から新車のキハ261になった
おおぞら3号。
キハ283時代のSおおぞらと比べると
振り子廃止によるスピードダウンと
最高速の10キロアップが相殺されて
新夕張までわずか数分遅くなるにとどまっている。
まずは2か月以上かかってヨーロッパから届いた
このファラーの竪坑のキット。
ホビーセンターKATOでも扱ってたのだが
売り切れみたいなのでamazon経由で。
そのままではいかにもドイツ古典風過ぎるので
鉄骨の色を夕張とか美の竪坑みたいに赤く塗って
さらにジオコレの役所とくっつけて
少し近代的竪坑にしてみた。
巻き上げモーター室と煙突は
窓枠などの色を多少変えるだけでそのまま使う予定。
竪坑とポケットと炭住がそろったら必要なのは
石炭車(運炭車)なのであります。
セキ3000の黄帯仕様がすでに50両ほど在籍していて
夕張線っぽくD51にひかせたりしているのであるが
もっと古いのが欲しいということで
モデルアイコンのセキ1000は数量あるので
今度は
日下総研さんのこの3Dプリントキット。
セキ1!しかも一気に3種類。
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