現役最後のSLの寂しい扱いの安平町と倶知安の二つ目を少し(9/6)

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最近出来て話題の道の駅 あびらD51ステーションに行った。

噂通り駐車場待ちができるほどの賑わい。

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追分駅近くの鉄道資料館から持ってきた

D51 320号機も相変わらずきれいである。

本当は最後の営業列車(貨物列車)を牽いた

D51 241号機が保存されるはずだったが

追分機関区とともに全焼してしまったので

急遽320号機が保存されたといういわく付きのカマである。

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区名標にはもちろん追分機関区を示す「追」が

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これを見るまでは素晴らしいと思っていたが

旧鉄道資料館に行って目が覚めた。

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グーグルマップではまだ見ることができるが

これは最後のSLのD51の燃え残った

動輪と煙室扉とナンバーで作ったモニュメントの成れの果て。

さすがに追分町の時は国鉄OBも大勢いたから

大事にされていたのだが

おそらく安平町として合併した時に

単なる客寄せパンダに成り下がってしまったのであろう。

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D51241号機の看板もこのように雑に捨てられている。

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ところで煙室扉はどこ行った?

近代遺産たるD51241号機の部品が

こんなに粗末にされてる町の無理解を見ると本当に

悲しくなる。

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気を取り直して道の駅の紹介を少々。

この通り1086号機以外の3両分のナンバー。

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クラウドファンディング整備移設したキハ183

ただ先ほどの241号機の扱いを見ると

この車両の将来も非常気掛かり。

だいたい屋根も作ってもらえなかったし。

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後ろには先ほどの鉄道資料館にあった

ヨとワムがいる。

そして

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取り残されたスハ45は朽ち果てるのみなのか?

そして

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倶知安の文化福祉センターの

二つ目のキューロク79615号機。

一応きちっと保存しようとする意志は感じられるのだが

いかんせんニセコ山麓の厳しい自然条件の中。

ライトは一つどっかに行ってしまってるし

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給水ポートも一緒に保存されている。

こうおした生きた感じの保存は

少しは愛情が感じられるものである。

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キャブ内にも自由にはいれる割には

欠損部品も少なく意外にまともに保存されている。

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駅名標も・・・。

だたこれは函館本線のホームのモノっぽいので

本当は胆振線の名標が欲しかったところ。

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そしてすぐ近くには

旧胆振線六郷駅跡地として

鉄道記念公園がある。

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ホーム(復元か?)ヨ6000とオハフ46501が保存されている。

2両とも意外に状態は良い。

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キューロクの動輪も。

ただ地元の人には愛着は全くないらしく

子供が保存されている踏切の警報器を

バスケットゴールがわりに

バスケットボールをガンガンぶつけていた。

なんだか鉄道車両の保存について

随分考えさせられる2日間であった。

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このページは、ayu2が2020年9月11日 14:46に書いたブログ記事です。

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