最近出来て話題の道の駅 あびらD51ステーションに行った。
噂通り駐車場待ちができるほどの賑わい。
追分駅近くの鉄道資料館から持ってきた
D51 320号機も相変わらずきれいである。
本当は最後の営業列車(貨物列車)を牽いた
D51 241号機が保存されるはずだったが
追分機関区とともに全焼してしまったので
急遽320号機が保存されたといういわく付きのカマである。
区名標にはもちろん追分機関区を示す「追」が
これを見るまでは素晴らしいと思っていたが
旧鉄道資料館に行って目が覚めた。
グーグルマップではまだ見ることができるが
これは最後のSLのD51の燃え残った
動輪と煙室扉とナンバーで作ったモニュメントの成れの果て。
さすがに追分町の時は国鉄OBも大勢いたから
大事にされていたのだが
おそらく安平町として合併した時に
単なる客寄せパンダに成り下がってしまったのであろう。
D51241号機の看板もこのように雑に捨てられている。
ところで煙室扉はどこ行った?
近代遺産たるD51241号機の部品が
こんなに粗末にされてる町の無理解を見ると本当に
悲しくなる。
気を取り直して道の駅の紹介を少々。
この通り1086号機以外の3両分のナンバー。
クラウドファンディング整備移設したキハ183
ただ先ほどの241号機の扱いを見ると
この車両の将来も非常気掛かり。
だいたい屋根も作ってもらえなかったし。
後ろには先ほどの鉄道資料館にあった
ヨとワムがいる。
そして
取り残されたスハ45は朽ち果てるのみなのか?
そして
倶知安の文化福祉センターの
二つ目のキューロク79615号機。
一応きちっと保存しようとする意志は感じられるのだが
いかんせんニセコ山麓の厳しい自然条件の中。
ライトは一つどっかに行ってしまってるし
給水ポートも一緒に保存されている。
こうおした生きた感じの保存は
少しは愛情が感じられるものである。
キャブ内にも自由にはいれる割には
欠損部品も少なく意外にまともに保存されている。
駅名標も・・・。
だたこれは函館本線のホームのモノっぽいので
本当は胆振線の名標が欲しかったところ。
そしてすぐ近くには
旧胆振線六郷駅跡地として
鉄道記念公園がある。
ホーム(復元か?)ヨ6000とオハフ46501が保存されている。
2両とも意外に状態は良い。
キューロクの動輪も。
ただ地元の人には愛着は全くないらしく
子供が保存されている踏切の警報器を
バスケットゴールがわりに
バスケットボールをガンガンぶつけていた。
なんだか鉄道車両の保存について
随分考えさせられる2日間であった。
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