展望車の最近のブログ記事

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車体が完成したので早速塗装に入る。

ガイアのプライマーを塗り白帯と下塗りを兼ねまずは白3号。

オロ31も同様に下塗りを白3号で。

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マイテの室内の仕切りには桃山式の装飾のエッジングが

されているので折角だから茶色を塗った後磨きだした。

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 KATOのマイテ49よりの小改造と塗り替え。
古くからあったKATOのマイテ49。
出来は良いのだがデッキなどは戦後の仕様で
床下機器の配置などは戦前仕様という
よくわからない時代考証になっていたので
どうせなら戦前の「富士」の仕様にしてしまった。

展望デッキは柵からテールマークと尾灯を
綺麗に削り取って
(意外に難しく左側は失敗気味)
右側下部に新たに標識灯と
訓令式ローマ字「HUJI」のテールマークをつけ
さらにガイアのぶどう色1号に塗り替えて
レタリングを2段標記でスイテ37041にした。

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 キングスの妻板床版が金属の旧キットのスイテ37。
とりあえず完成にした。
ガイアのブドウ色1号はやはりちょっと黒すぎかもしれない。
所属表記などはこの当時「東トウ」なのであるが
2004年に東シナなどが東京総合車両センターに
統合されてこの「東トウ」の表記が
70年の時を経て復活した。
ただインレタはまだ無いようであるので
もうちょっと無所属?のまま。

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実車の車歴としては・・・・
昭和5年3月までに特急「富士」の
鋼製展望車として37000から37003の
3両がそろったという話だが
実際には37000は昭和4年度中には
すでに富士の編成に入っていたという説もある。

その後スイテ381と改称、
戦後は接収解除後、戦後の特急展望車として復活した
僚友のスイテ382やマイテ39などと異なり
復活はせずそのままオシ174の種車として消える。

模型ではいつまでも戦前「富士」の殿として
いつまでも走り続ける。

マイテ49 1

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昭和30年頃の姿。

マイテ49 2と少々異なって中央部に700mm窓が8つ並ぶ。
昭和13年に特急「富士」用にスイテ37040として落成。
戦後昭和29年まで接収を受けるが摂取解除後
近代化改装を行い、一等室内は一人用の
リクライニングシートが並び後のこだま号の
パーラーカーのようだった。
その後東鉄局内にあって「つばめ」「はと」の共用予備車として
青大将化され特急の電車化後も団体用として使われ
一等展望車一番最後の昭和38年に廃車となる。

スイテ48 1

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昭和30年ごろの姿。

昭和6年、特急「燕」の展望車スイテ37020として落成。
戦後接収されたが昭和25年に返還され再整備の後
特急「はと」の展望車として活躍したが
青大将塗装には変更されることなく昭和32年
オシ17 5の種車として廃車。

マイテ37 2

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昭和25年から28年にかけての姿。

戦前の特急「鷗」用に昭和14年に鋼体化改造によって
スイテ37051として生まれた。
戦後接収を経て25年に「はと」の展望車として
マイテ37 2 として整備。
28年にマイテ58 2 と改番、36年に廃車。

2017年4月

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