ぽぽ経由で中古のハチロクが入った。
でもあまり似ていないのでそれっぽくすることに。
まずは定番の車高下げ。
動力ユニットを全部ばらしてダイキャストを削る。
この辺まで削ると約1mm位下がる。
モーションプレートはランボードにあたるので
上部をぎりぎりまで削る。
火室上部はモータ端子が当たるので
このようにぎりぎりまでルーターで削る、
ぽぽ経由で中古のハチロクが入った。
でもあまり似ていないのでそれっぽくすることに。
まずは定番の車高下げ。
動力ユニットを全部ばらしてダイキャストを削る。
この辺まで削ると約1mm位下がる。
モーションプレートはランボードにあたるので
上部をぎりぎりまで削る。
火室上部はモータ端子が当たるので
このようにぎりぎりまでルーターで削る、
IORIさんがA8用のライニングデカール作ったというので
ちょうど再生産されたばかりのワールドA8を再作成。
自連付け替え前の明治から大正初期ということで
端梁の自連関係のディテールを全部削って
バッファ用の穴をあける。
問題の位置決めや保持が難しいという側梁の取り付けも
実は上回りを全部つけた後だとその取付足が
ガイドになって簡単に取り付けられる。
これキットの設計時に計算されていたのかどうかは不明。
KATOの新C571次型をamazon経由で配備された。
早速KATOから発売されているオハ61系列の客車を牽かせてみた。
スノープロウはC12用が付くというので取り付けてからの配備。
清缶剤投入装置付き、ATS発電機付き、逆止め弁は缶上
前部標識灯は左側のみ。補助燈はなし。
各発電機の排気管は屋根上。
デフの切り欠きはなしの仕様。
噂によると昭和40年初頭の
播但線富岡機関区の95号機当たりがモデルらしいが
95号機はつらら切りみたいのが付いているので
もしかしたら97号機なのかもしれない。
しばらく続いた明治シリーズは少しお休みで
今回は夕張シリーズとして
ワールドの真谷地5052号機を組んだ。
ボールドウィン製のこのカマ、
元は東海道線の箱根越えに明治30年代に投入された8100型で
戦後まで一両もかけることなく全20機が
北海道まで落ち延びて健在だった。
この手のキットはテンダーから組むのが取っつきやすいので
早速テンダーを組み立てる。
この8100型はさらに北海道の炭鉱などに払い下げられて
1960年代中期まで活躍した恐ろしく
息の長いカマ。
粗製乱造気味のボールドウィン製のカマは
このカマに限らず大味なところがカエッテ良かったのか
恐ろしく長生きしたやつが多い。
この5052号機も結局1966年まで活躍した。
この時期には珍しい積雪量なので
雪の中のSLを撮ろうと水上へ。
6日の上りの水上駅出発シーンを撮りたかったのだが
行ってみたらあまりの積雪で転車台が使えず
上りは運休で後ろにDD51つけて折り返していってしまった。
JR高崎支社のHPに事前に乗っていたのだが見逃していた。
仕方ないので偵察がてらちらっと撮影。
そして翌日の午前中再び今度は下りを
このバンジーで有名な橋から。
折角ネルソンができたのだから
それに牽かせる客車も少し高級にということで
例のごとくIORI工房のロ75とフホハ7835を作成。
実際牽かせてみるとみるとよい感じ。
やはりネルソンはボギー客車が似合う?
今回は組み立てる前に
1500番くらいのサーフェーサで先に下地処理。
こうするとタミヤでも接着が容易になる(はず)。
フホハに関しては台車のセンターピンは
KATOのものと指定があるが
耐久性などを考慮して2mmボルトとワッシャで固定した。
2003年くらいの鉄道模型ショーで販売された
JMRAのネルソンのキットが手に入ったので
早速組立完成した。
これがその箱。
キットではランボードとボイラーが2種類入っていて
原型6200、過熱式改造後の6250、さらに空制化後の
3種類を作り分けられるようになっている。
ただし自連化後の姿。
実際には制作はワールド工芸が行っているらしく
同社のキット同様
説明書を見ると少しビビるが
実際は非常に組みやすい。
かなりの話題になった国内初?のSLプラキットの
トーマモデルワークスの日車Cタンクキット。
当初は気にも留めていなかったが
あちこちで作成記事がアップされているので
一つ組み立ててみることにした。
まずは下回りの動力部から組み立て。
基本的には説明書通りで
1mm洋白線にウォームギアを入れるところは
ウォームの穴を1mmのドリルでさらってから入れるのだが
なかなかするすると入らずに時間がかかった。
動輪の輪心は最初からはめ込まれていて手間いらず。
またクランクピンはワールドやKATOなどの完成量産品などと違って
ネジになっているので気楽に何度でもつけ外しができる。
一番左のウォームは上回りにあたる恐れがあるので
少し後ろ寄りに付けるの指示であるが
少し大げさにやりすぎてしまって
後退のとき大げさなギア鳴り&びびり音がするようになってしまった。
いずれも差し込んで調整のあと
嫌気性接着剤(ロックタイトなど)で固定する。
突然に明治時代の蒸機と貨車。
この本を買ってきてページを捲っていたら
急に明治時代のSLが組みたくなった。
早速・・・・・
ワールドのナスミス・ウィルソンのA8の原型キット。
最近のワールドの製品はキットと言えども
お値段のほうが高騰気味で
組むのにも失敗なんか許されず
ちょっとした緊張感が・・・・・。
記念商品ということもあり値段も高いので
ずっと買うのを躊躇していたが
20周年記念誌の引換権も5月いっぱいまでというので
思い切って1年遅れでの入線となった。
でもNの蒸気では珍しい戦前仕様ということもあって
やはり買ってよかった。
とりあえずC51燕との並び。
IORI工房キットのナハ22000系列を牽かせるには
まさにぴったりの形式。
ディテールや全体のバランス、さらに走りなど
非常に高次元でまとまっており非常に満足度も高い。
発売日に2両のKATOのC11を引き取ってきた。
店での試運転ではスピードを出すと
多少左右に揺れるもののまあまあ合格点。
ところが家で走らせるとポイントのところで
何故かショートしてしまう。
裏返しにしてみると
先輪のスプリングが斜めになってしまって
ダイキャストのフレームの左右を
短絡してしまっているのが原因。
スプリングをまっすぐに直したのだが
どうも2両ともずれやすいようである。
入線に当たってまずはカプラー交換。
後部従台車側は付属のナックル(かもめナックルそのもの)に
トリップピンを0.7mmの穴をあけて付けた。
下側のカプラーの保持台座のようなものは
そのままだとトリップピンに当たるので
長さを詰めた。
ナックルの右肩のでっぱりが邪魔になって
解放しづらいので多少突起を低く削り
これで解放もDUもOKになった。
客車は一足先に発売になったKATOの
オハ61系のセットのオハユニ。
所属は仙ワカ。
有井のC53デフ付き前期型は
実は増炭済みの20立方テンダー振替が行われた
特急牽引機使用である。
折角だから軽くディテールアップ。
テンダーには浜松工場お墨付きの10000km限定マークを入れた。
付け足した配管類がわかるように塗装前の写真。
前回のデフなしの時のような前デッキの
角度変更は今回はデフを生かしたかったので省略。
まあデフなしと違って角度が緩すぎるのは
さほど目立たないので。
ヘッドライトはKATOの旧C57用。
仕掛一掃作戦の一連の続き・・・。
何故か作りかけのGMスハ43より
釧網線にいたオハフ46506。
実車はスハ43172→オハ47204(台車振替)
→オハ47505(北海道仕様に)
→オハフ46506(緩急車改造)
と3回も車番が変わった強者。
住宅用アルミサッシをはめ込んだ特徴的な車掌室窓は
もとの窓枠を削った後にプラ板で作成。
テールランプは銀河の旧客用。
KATOのD51のバリ展として
製品名はD51標準型(集煙装置付き)が発売になった。
実質は昭和48年ごろの中央西線中津川機関区のカマそのもの。
長工式集煙装置、重油タンクなし、オプションとして
中津川様式のスノープロウ、テンダーのかさ上げ。
シールドビームの後部ヘッドライトなどなど結構忠実。
早速改造。
前部カプラーをZ用ケーディーに。
バラバラになってしまうステップスノープロウは接着。
発売されて1年半がたつが
ふと思いついて
KATOのサウンドボックスを買ってきた。
パワーパックはTOMIXのDU2に接続させて使用。
回路構成はもう周知のとおりパワーパックからは電圧の検知だけで
実際はサウンドボックスからの直接制御である。
電源はamazonで2Aのものを購入。
あとC57,59用のサウンドカードも購入。
標準でついてくる蒸気機関車のカードと何が違うのかと思ったが
やはりパシフィック機やC62などのハドソンには
こっちのほうがしっくりくる。
ちなみにC58や9600は標準のほうがあってるようだ。
(標準のカードはD51らしい)
5年前の東日本大震災の時にキャブの屋根に
傷が入って稼働率が著しく落ちていた
KATOのC62東海道形だが
そのパテ埋めと部分塗装するならついでと
スノープロウの姿にしてみた。
使ったのはやえもんデザインのC62用東海道形というパーツ。
デッキ下のステップを一段切り取った後に
端梁に0.8mmの穴あけ、長方形に拡大して
取り付けた。
ついでにナンバーを16号機から世界記録機の17号機に。
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そしてもう1題は
もう2年もずっと一人ぼっちだった
KATOのC57の4次型(ナンバーはC57192)だが
やっと牽引する列車を手配させてあげられた。
もちろんS49の急行日南。
KATOのC62山陽型の2両目であるが
この製品、山陽型でも実際の広島糸崎では少数派
煙室のエプロンが小型の裾が垂直なタイプ。
付属のナンバーは製品のモデルである25号機を除いては
28,34,35とどれも大型エプロンのタイプ。
一番目立つところなのでどうしようかと思っていたら
C62北海道形には15,16,27,32のナンバーが入っていて
そのうち最後の最後で広島糸崎から北海道に渡った
15,16の2両のうち16号機が山陽型の
小さいほうのエプロン装備車であった。
さっそく16号機のナンバーを取り付けたのが1枚目の写真。
北海道に渡る前には呉線のSLのラストを飾ったカマでもあるので
当然「安芸」のヘッドマーク付きで!
当然わが鉄道では「安芸」限定運用となる。
こんな感じに火室、従台車、テンダー下部を
中心に汚し塗装をしてみた。
呉線末期のC62やC59の写真を見ると
どれも潮風のためか双耳が行き届かないためなのか
下回りが真っ赤(まっ茶?)に汚れている。
これは1969年12月の鉄道ファン紙。
先日KATOのC62山陽型は非常に高品質なのだが
この点がイマイチ現役の蒸気っぽさが足りないので
エアブラシで汚し塗装することにした次第。
今回使用した塗料はガイアのこのサビ色塗料。
黄サビは使わなかった。
ラベルに書いてあるようにパンタ回りなどには良いようだ。
全体、本当はもっと汚れているイメージはあるのだが
やはり汚し過ぎは良くないと思うのでこのくらいで。
白線より上と動輪や電気系統はしっかりマスキングした。
もっと汚すのならば赤サビだけでなく
黄サビも併用したほうが良いと思う。
今日はちょっと動画で
9600+D51の牽く石炭列車。
架線柱があるので室蘭付近といったところか?
回送のキューロクとの重連といったところ。
9600は有井の北海道重装備のゼブラ塗装で
確かキマロキのセットに入っていたやつだったと思う。
これが欲しいためにキマロキを買った。
こちらは北見以西の通称「大切崩れ」。
札幌網走の急行大雪も北見から先のC58が牽引する区間は
たしか普通か快速扱いになった。
ただC58がA寝台やグリーン車が連結される急行編成を牽くので
人気があったらしい。
後補機の9600に後押ししてもらって常紋峠を上るといったところか。
列車が一瞬2度ほど速度が急に落ちるのは
C58がなぜか急に空転してしまったため。
まさか本当に常紋峠を上っているみたい。
C58139は有井のC58北見からの改造。
49643はこれも有井の9600のデフなし(2段テンダーのやつ)からの改造。
両車とも湧網線の跡地(C58は計路地、9600は卯原内)に現存する。
C62山陽型がKATOから発売になって
下関のC62と言ったらやっぱりブルトレ牽引!
(25号機以外は形態が近い形のナンバーは付属していないので
とりあえず2両目は34号機にしているが)
20系1編成を引っ張り出してきたついでに
全車室内灯を装備することにした。
今回は写真のようにオレンジのカバーをつけて
多少黄色っぽく点灯させる。
ただ15両編成前部に室内灯をつけると
編成重量もかなり増加するので
先頭のカニがポイントなどで頻繁に脱線する。
そこで上州屋で買ってきた板鉛で補充。
まずは床下機器の隙間とこのように
発電機モールドの裏に。