そしてこれも国内唯一の4110型である
美唄2号機。
正確には自社発注の同型機であるが。
運転席に入るとスピーカーから汽笛の音が流れる。
このように動力逆転機である。
運転席から見る駅舎との位置関係はこんな感じ。
ちゃんとホームも残っている。
本線跡はかつてはサイクリングロードであったが
現在は廃止されていて通れない。
サイクリングロードとして整備されていた時期もあったので
このようにかなりの橋梁が残っている。
美唄炭山駅跡はキャンプ場に。
かつて数千人が住んでいたこの地区も
今やほぼ無人。
キャンプするにしても誰もいないと
クマに襲われそう。
道路を挟んだ反対側はスキー場。
そして終点の常盤台駅と美唄炭鉱の竪坑。
右奥に見えるホッパーともども
炭鉱メモリアル公園として整備されているが
人っ子一人いなくて熊注意の看板が非常に気になる。
看板には当時の写真(左側に竪坑2基が見える)と
線路や建物の配置図があるので
最盛期を思いつつ熊に怯える?
美唄を離れ南下して
旧幌内線の萱野駅跡。
駅舎はライダーハウスとして利用されている。
常時人が入っているので当然きれいに使用されている。
ホームとレールが(それとヨ8000)残る。
さらにどんどん進んで今度は万字線の朝日駅跡。
朝日炭鉱の積み出し駅として栄えた駅だが
今は周りに人家すらない。
跡から作られたと思われるホームに
全然こことは関係ないB20 1(元小樽築港)が
一時この機関車ともども荒れ果てていたらしいが
地元有志の方々が再生してくださって
いまはこの通り、このままずっときれいでいて欲しい。
運転台は梅小路の10号機同様正規の左側、
ブレーキも単弁のみしかついていない。
レールは少し続いていて
奥に本来のホームが残る。
駅舎とホームが少々離れているのは
炭鉱駅にはよくあるパターン。
美流渡のはずれにある
万字線鉄道資料館は日曜日はお休みと言うことで
見学は出来なかった。
美流渡駅跡はただの広場に
万字駅跡は実はこの手前の
簡易郵便局の建物が駅舎だったそうで
急遽コース変更のためリサーチ不足は否めず。
そのため終点の万字炭山駅の跡は通り過ぎてしまった。
そして万字峠を越えて夕張市内は
1回目で乗せた通り。
そこから栗山方面へ下る。
おなじみ新二股駅跡。
裏手は少し改造されている。
少し前まで何かの施設として使用されていたらしいが
今は何も利用されていないようだ。
少し荒れが進んだのが気になる。
次の継立駅も現存する。
ホーム側も現役時代をほうふつさせる。
ここは今も工務店か何かの事務所として現役なので
これ以上は遠慮させてもらう。
そして今回の旅の本目的の
栗山公園の夕張21号機。
自社発注のキューロクで
一番最後に生産されたキュウロク(1941年製)
一部パーツは欠損がみられるが
状態もそんなに悪くなく
ちゃんと屋根も作ってもらって
栗山公園でいつも子供たちに囲まれていて
ある意味幸せな老後を送っている。
特徴ある簡易スノープロウ上下用のシリンダーと
平和での補機自動開放用の
助手席から伸びた連結器の開放てこ。
運転席もキューロクによくみられるような
入れ替えに便利な右運転台改造は
当然本線機なのでされていないのが逆に新鮮。
加減弁と逆転機を捜査してブレーキを緩めれば
今にも走り出しそうだ。
テンダー後面は右に大きな特徴的な手すりがあるが
上に上がる梯子がない。
給炭作業に不便すぎるので本来はあったはずなのだが。
でもキレイに後もない。
そして長沼の夕張鉄道25号機。
元国鉄49694(最終鷲別)である。
かつてかなり荒廃していたそうだが
塗り替えもしてもらって今ではとてもキレイ。
こいつもスノープロウ上下用シリンダーと
自動開放用の助手席からの連結器開放ロッド付きなのだが
ロッドの取り回しは21号機とは異なる。
テンダー部は梯子もあるし
標準的なキューロクの後ろ姿。
ちなみに25号機は大正10年(1921年)製で
21号機より番号は後だが
製造20年以上も古い。
ということで今回の鉄分補給の旅はお仕舞!
この辺は新千歳からも近いので
また訪れえることもあるであろう。
全般的に最近北海道の鉄道遺産は
札幌圏を中心にだいぶ再整備が進んできて
あまり荒廃したものはなくなってきたのではないかと思う。
まあ荒廃したのは撤去されてしまったという話もあるが。
このままずっと奇麗なままで
子供たちに囲まれて幸せな老後を過ごしてほしいと思う。
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