モデモのスハ33を何両もため込んだので
そろそろ本格的運用開始すべく
戦前型への塗り替え。
スハ33900(初代)へ原形復帰。
床下はGMのガーランドベンチレーターについてくる
大型電池箱とキングスのHM時代の水タンクのレジンコピーで
戦前のダブルルーフ客車の床下に復元。
モデモのスハ33を何両もため込んだので
そろそろ本格的運用開始すべく
戦前型への塗り替え。
スハ33900(初代)へ原形復帰。
床下はGMのガーランドベンチレーターについてくる
大型電池箱とキングスのHM時代の水タンクのレジンコピーで
戦前のダブルルーフ客車の床下に復元。
2か月かかったが
大型3AB時代の特別急行1,2列車 全10両編成完成した。
のちの特急富士と言われる列車である。
今回は関東大震災の震災復興車であるマニ29930が入っているので
(これは本当は幅が狭いのだがキットは他と合わせたタイプらしい)
震災後から大正15年9月の自動連結器化前の
ねじ式連結器バッファー付き、真空制動時代として作成した。
最っ後に完成させた三両。
スロネ28500。
前回のスロネと同型だが
こちらは前期型として作成。
屋根の明かり窓が少なく
また雨樋が中屋根上にあるので
付属の妻の雨樋の前期型用を付けて
側面の雨樋をひっくり返して屋根に接着した。
スイネ27100と同様の工作だが
2台目なのでうまくできた。
スロネ28508。
先日のスロネとまったく同じだが
こちらは窓の保護棒なしの形態にした。
新製時には保護棒はついていたのであるが
末期は撤去されていたようで
何時撤去されたのかはいまいち不明みたいなので
スロネは同一車両が3両あるので
1両は保護棒なし、もう一両(上の車両)は前期型。
として変化を付けてみた。
セット分の7両が完成したので走行動画を
このように最難関と思われる雨樋は
位置決めしてクリップで挟んで
ハンダを少量点付けしてから
全体に流す。
妻板の縦樋は0.4真鍮線を半田付けするのだが
先に真鍮線を半田メッキすれば特に問題ない。
室内灯を付けるために
台車も集電対応に
車輪はKATOの集電対応スポークを使用。
台車片側をテープで絶縁してプラネジで組み立て
片側の台車は車体と絶縁するために
切ったプラパイプを付属の金属パイプの代わりに使い
絶縁ワッシャで組み立てる。
アルモデルよりぽつぽつとキングスの
旧型客車のキットが改良再版されているが
いよいよ大型3AB客車も発売となった。
限定のトータルキットとフル編成用増結の3両が
届いたので早速。
10両もの客車の金属キットなので
全数完成まで相当時間かかりそう。
しかもこの木造車系は床も金属だし
妻板も金属で少しめんどくさいので
まずはGWまでに完成した半数から。
早速組み立て始める。
いきなりオテン28070から
大型3AB時代の特別急行1、2列車(のちの富士)は
10年くらいの短い期間とはいえ
時期によって結構ディテールや車番が変わってたりするのだが
今回は大正14,5年の自動連結器付け替え直前のころと言う設定で。
当然車種は縦表記、車番は旧番号で
車体が完成したので早速塗装に入る。
ガイアのプライマーを塗り白帯と下塗りを兼ねまずは白3号。
オロ31も同様に下塗りを白3号で。
マイテの室内の仕切りには桃山式の装飾のエッジングが
されているので折角だから茶色を塗った後磨きだした。
たまってるキットを消化すべく
レヴォリューションのスハネ30100のキットを組んだ。
GMのスハ32もしくはオハ35のデッキ部分を生かす
コンバージョンキット。
ただこの手のキットは雨樋の表現が
2段エッジングのキ高級キットでもない限り貧弱なので
別途キッチンのSUSのやつを半田付けした。
ついでに以前作ったキッチンのマロネ37(絶版)も
戦前仕様に塗り替え。
ちなみに色はブドウ色1号はガイアカラー
赤帯はGMの赤2号、青帯はインディブルー。
青帯は色の濃い戦前仕様とは言えもう少し明るくてもいかもしれない。
完成。
モデモのスハ32戦前仕様やキングの旧キット等とつないで
昭和10年代の特急富士。
キングスの燕水槽車キット完成。
実車は機関車と同じプレートがつけられていて
あくまでもテンダーの追加扱いとなっていたそうだ。
色は最初GMの黒を塗ったのだが
半艶具合がどうも気に入らなかったので
ガイアの艶ありの黒を上塗りしてみた。
本当は3月に買ってあったのだが
そのまま眠らせ続けて半年。
両端のカプラーをMT-10に交換して
やっと入線となった。(中間はもともとのジャンパ付Kカプラ)
いつもは釧網線編成の混合列車ばっかり牽かされている
我が家の北見仕様のC58の139号機だが
やっと日の目を見たようだ。
実際にC58がこの編成を引いたのは北見-網走間で
ダイヤ上は北見から先は普通列車扱いで
通称「大雪崩れ」と呼ばれていた。
A寝台車やグリーン車を連結したママの編成で
人気の北のC58が牽引するとあって有名だった。
完成したカニ39550(カニ37)。
新キットになった後のカニ37は
31系ボディの旧39500と32系ボディの旧39550は
しっかりと作り分けていたのだが
旧キットのこいつはどちらとも取れる造形。
どちらかといえば窓の縦寸法が拡大された
39550に近いからそういうことにした。
実際はどちらも「富士」の荷物車として使われたようだ。
別張りのエッチング製の保護棒が好ましい。
これで昭和5年「富士」も
残すはスシ1両のみとなった。
モデモのスロ34を小改造塗替えで
戦前仕様のスロ30750にした。
奥はノーマルのモデモスロ34.
ナンバーは特にこだわったわけではないが30752.
所属は「燕」用の大ミハソ。初期なので
大アカソのほうが良かったかもしれない。
この製品群、特長あるダブルルーフは全車種
スハ32の流用なのでベンチレーターなどの配置は
実物とは異なるがまあ目をつぶることにした。
色は戦前2等の帯色としてインディーブルー。
茶はガイアのぶどう色1号。
モデモの旧客は有名なナカセイのキットを
型を買い取り組み立て塗装してセットで再販したものであるが
いちいちシンナープールで色や車体の接着を剥がすのが
非常にめんどくさいから
今度再販するときはキットのままで販売して欲しい。
手前が改装後色塗り前のスロ30750。
奥の戦後のスロ34とはごらんの通り機器配置が異なる。
戦前配置の床下機器はキングスのものを
レジンキャストでコピーしたもの。
マイネ37130。
妻、床が金属の富士セットの旧製品キットを組み立て完成。
どう調整しても屋根端に隙間が空くが仕方ない。
この車両室内全部が区分室のため
窓の数が少なくリベットだらけの車体もあって
かなり重厚感あふれる車両である。
実車は
特急「富士」用として1930年に鉄道省大宮工場で製造。
昭和16年にマイネ38 1と改称。
戦後接収され冷房取付、接収解除後
「十和田」等で使用。
昭和30年、旧一等寝台廃止に伴いマロネ49 1になる。
その後「銀河」「彗星」で使用ののち
昭和35年 オシ17 8の種車となって生涯を終える。
ちなみにこのオシ17-8はのち電暖取付でオシ17 2018になり
昭和47年11月6日に30名もの死者を出した
北陸トンネル火災事故に火元になった。
スロ30750.。
キングスの妻、床がプラになった新キットを完成。
旧キットに比べリベットの2列表現等細密化され
組み立ての簡略化のためシルのリベットが凹表現になった。
ゴテゴテとした感のある旧キットに比べて
あっさりさっぱりしたディテール表現になった。
実車は
化粧室を2箇所と給仕室を設備した転換式腰掛をもつ二等車として
昭和5年に製造され当初の目的通り特急「富士」「燕」などに組み込まれる。
昭和16年の称号改正でスロ34 1となる。
戦後昭和38年にオハネ17 163の種車となり生涯を終える。