21日夜の地震でJRや地下鉄が朝まで運転中止したため
新千歳空港には帰れなくなった人が停泊しているらしい。
そして夕張支線を含む石勝線は昼まで運休ということで
大いなる不安を抱えて渡道。
いざ着いてみると空港は普段通りで
地震の影響は全く感じられない。
レンタカーやの送迎の人によると
地震の揺れはかなり大きいものだったが5秒くらいの
非常に短いものだったそうで
長かったらやばかったかもしれないという話だった。
今回はルフト・トラベルレンタカーといういわゆる格安レンタカーを使ってみた。
二日で2千円ほどで免責免除になる保険が二日で2千円の計4千円。
事前にウェブチェックインをしていたので
レンタカー屋に着くとすぐに車を受け取れた。
ちなみに千歳はレンタカー会社はまとまって所在していて
トヨタレンタカーとオリックスレンタカーの間にあった。
待合室がプレハブだったりするだけで
立地など他のレンタカー屋に対して不利なことはあまりない。
飛行機が千歳に着いてからレンタカーに乗り始めるまで30分ほどで済む。
まあ石勝線が前述のとおりなうえに
地震の影響もわからないので
安全そうな道東自動車道で夕張へ向かう。
やはり小一時間で新夕張に到着。
なんとと言うかやはりと言うか
石勝線は動いていなくSおおぞらが
恐らく昨晩から駅にずっと抑止中。
駅前広場がかつて石勝線が開通前の夕張線の紅葉山駅。
駅名標だけがポツンとかつての面影を語る。
ちなみに今の道の駅が駅前広場。
夕張線は結局新夕張を15:55に出る便から復旧ということで
かなり時間が開く。
とりあえず撮影ポイントの下見がてら
色々と行ってみたい鉄道遺産地を行こうと
まずは沼ノ沢で折れて真谷地へ。
この真谷地専用線の機関庫だった建物も雪の中にひっそりと。
反対側のリサイクルセンターの建物は旧体育館。
上の機関庫とこの体育館が真谷地炭鉱の数少ない生き証人。
そして道路はここで行き止まり。
真谷地炭鉱の跡地は1m以上高くなった雪原になっている。
スノーシューを持ってくれば良かったと思いつつ
雪原へ踏み込み。
夏はすすきや藪で覆われて見にくかった
給炭施設の跡もこのようによく見える。
奥まで行って振り返ったところ。
ここにはもう自分の足跡以外には
鹿ときつねの足跡しかない。
そして真谷地を後にして再び夕張線沿線。
駅舎レストランになっている沼ノ沢駅。
敗戦後のレストランの去就はまだ未定らしい。
かつての真谷地炭鉱専用線もここから分かれていた。
その繁栄を物語るような広い待合室。
今はその端のほうにぽっつんと数脚の椅子があるのみ。
そして南清水沢清陵地区にある夕張新炭鉱の跡。
夕張の期待と大規模事故によって絶望を一身に背負ってしまった
この坑道入り口は中から救出されることもなく
火災沈下のために注水された人々の魂が
息ができるようにと埋めることはされず鉄格子のみとなっている。
横の慰霊碑は除雪がしてあって訪れる人が絶えない模様。
そして大夕張鉄道の分岐駅だった清水沢は
やはり大きな駅舎を持つ。
壁には元駅長の清水沢駅
繁栄の歴史でもある数々の写真のが飾られている。
そして夕張鉄道との乗換駅でもあった鹿ノ谷。
ここは少し小さめの駅舎。
夕張新たな出発へのカウントダウン。
そして今の夕張駅を過ぎて
夕張鉄道の夕張本町駅殿の跡の2代目国鉄夕張駅があった
夕張開館へ。
建物は耐震性も伴わず閉鎖されていて解体予定と聞く。
そして昼はセイコマートのホットシェフのカツ丼。
やはりホットシェフはうまい。
まだまだ時間があるので清水沢まで戻って
南大夕張へ。
南大夕張の保存客車はシートがかけられて冬眠中。
南部青葉町の商店街あとへも。
そしてシューパロ湖へ。
思ったより水位が高く一面真っ白。
そして大夕張駅から鹿島小学校のあたりはこのように
木が生えていて情事の水没は免れている模様。
でも地面は真っ白で何もないように見える。
鹿島地区はこの辺で終わりなので
Uターンして引き返す。
そして最後栗山帳へ向かう途中に残る夕張本町以外では
唯一の夕張鉄道の残存駅舎である新二岐駅舎をみたところで
そろそろ撮影時刻が迫ってきたので
清水沢の最初の撮影予定地へ向かうことにする。
次回は二日目の今回の本題のSL館の雪下ろしとその保存車輛と
最後(自身)の夕張線乗車へ!
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