3回に分けて搭載の夕張も最終回。
いよいよ南大夕張のあの客車の保存場所へ到着。
2014年に行ったときとまったく同様に綺麗に保存されている。
ラッセル車や石炭車なども保存されているが
今回は3両の客車を中心に。
まずは3軸台車を履く有名なスハニ6。
大正2年製の鉄道院基本型客車のオロシからの鋼体化車輛であるが
同じ系列炭鉱の美唄鉄道からの移転組。
最晩年になって荷物扉を今の位置に移設しているが
前の荷物扉の跡が今もくっきりと残っている。
今回の南大夕張に行った主目的であるこれらの客車の床下のチェック。
スハニ6の3軸台車のTR-70など。
台枠の幅拡大は国鉄の鋼体化客車のオハ61系などのように
台枠の幅を中間に継ぎ足して広げるような大工事ではなく
両端に支持材を継ぎ足して簡易的に幅を広げているのが良くわかる。
特徴的な形のトラスバー。
手前は機器箱らしきもの。
大夕張の車輛は電池箱は片側サイドにしかないようだ。
まあ短距離なのでその容量で問題なかったのであろう。
手前はブレーキシリンダー。
大夕張で最大の車体長のオハ1.
出自はスハニよりさらに古い明治39年製の雑型のネオ7。
台枠幅の拡大の仕方などはスハニと同様。
種車の関係なのかこちらのほうが幅は100mmほど狭い。
また台車もTR-11系列を履いているが
恐らく後年に振り替えたものであろう。
そして2016年に昭和30年代の白帯赤三菱マークの
旧塗装に塗り替えられたナハフ1。
3両のうちこれだけは昭和12年自社発注の車輛。
もとナハ1に後年車掌室を付けたもの。
この車両だけは車内は非公開。
昭和の新製車なのでこれだけトラス棒はなく
また通常の平台枠でもある。
スハニ6の元荷物扉の跡のところの椅子は
この通り165系などの一番前の椅子と同様な
半ボックスとなっているが
このシートピッチだとかなり窮屈。
オハ1の車内。
ダルマストーブの煙突が前後で
点対称状態で屋根中心線からずれている。
その他貴重な日本最古の石炭車セキ1、元セキ1000型のセキ2
昔の夕鉄バスなども保存されている。
さそろそろ夕暮れの時間も迫ってきたので先を急ぐ。
喫茶店併設の沼ノ沢駅先を左折して
3キロほど山奥へ入ると
夕張最後の炭鉱の北炭真谷地炭鉱の跡地へ出る。
数年前までは様々な施設が残っていたが
いまでは完全な平地に。
左側の怪しげなコンクリートはホッパー積み込み施設の跡。
そして真谷地炭鉱へ続いていた真谷地炭鉱専用線。
昭和40年代まで明治のボールドウィンが走っていて
ちょっとした有名鉄道だったが
その建物として残るものは
いまは木炭工場の倉庫か何かとして使用されている
真谷地の機関庫だけであるが
こんな色になってしまっているが意外にきれいに残っている。
裏側も、現役時にこの小さな入口みたいなでっぱりが
あったかどうかはわからない。
すっかり夜になったが新夕張に到着。
地震の影響による徐行だが
上り札幌方面はほぼ定刻通り
南千歳には約10分遅れで着いた。
日帰りで駈足だったが
一応夕張の鉄分の旅は終了。
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