沈んだ街あるき(大夕張シューパロ湖 9/6)

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札幌を10時過ぎに出てのんびりまずは

南大夕張のこいつに挨拶して・・・。

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今回の旅の主目的はこれ。

シューパロ湖拡大で沈んでしまった鹿島地区に

公式には入れる行事はこれが初だそうで

北海道では新聞やテレビに取り上げられて

かなり話題だったそうで

そういえば南大夕張とかシューパロダムとか

過去に見られないほどの人出で何か嫌な予感が

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国道の記念碑を過ぎたあたりから渋滞し始め

普段は入れない旧道の(大夕張炭山側)ゲートを入ったら

こんな感じでおそらく大夕張100年の歴史上初の渋滞?

結局駐車場に入れるようになるまで1時間半ハマった。

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大夕張駅跡前の会場では

こんな地図を配っていて

非常に参考になった。

これは一番の宝物だな。

主催者側はせいぜい100名くらいの人出と踏んでいたのが

実際には1600名もの来場者があったらしく

大盛況だった。

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有名なキリン君がお出迎え。

この場所は気があるのでわかると思うが

水没する場所ではないので残っているのだが

草刈りとか手入れなど絶対にしてあると思う。

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これも有名なスローガンの入った塔。

ここはもしかしたら水没する場所なのかもしれない。

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シューパロダムは基本農業用水が主目的なので

夏の間はあまり水がなく

ほとんど沈んでいる鹿島地区も8割ほどが

顔をですそうだが

その一番下流側の明石町地区へ。

この通り明石町の駅舎跡の広場と

ホームへ通じる地下通路が残っている。

この地下通路とキリンとスローガンが

鹿島地区に残された主たる遺産のすべてだと思われる。

このように実行委員会の手で

主要の建物跡に看板がつけられている。

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ホームに上がる階段も何とか残っている。

線路跡の舗装路は廃線からダム拡大水没まで

サイクリングロードだったため。

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ホームから旧明石町市街地を望む。

ここは夏でもほぼ水没したまま。

湖に浮かぶ枯れた木の列がメインストリートの名残。

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大夕張鉄道旭沢鉄橋はこの通り

ほぼ全容を見せている。

満水時は鉄橋トップと水面がほぼ面一の

厳しい環境でよく今まで完全な姿でいたものである。

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白銀橋もずいぶん姿を見せている。

この橋は鉄道ではなくて

夕張岳方面への林道の旧道。

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車を一つ大夕張方面へ進めて千年町駅跡の

駐車スペースに車を止める。

やはり駅跡とか学校跡が

広いスペースがあり今回駐車場としてしていされているところが多い。

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千年町駅前通りも

このように駅付近を除きほぼ全部水没地帯である。

昔はこの両脇に炭住がびっしり立ち並び

こんなに視界が良くなかったであろう。

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今度は鹿島小学校跡地に車を移動。

さすがにここは広く最大の収容数を誇っていた。

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大夕張駅跡がメイン会場で

色々出店されていた。

もちろん往時をしのぶものは何も残っていないけれど。

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そして鹿島地区の中心地だった大夕張駅前通り。

ここはだいぶ上流なので半分くらいは

水没しない地帯。

夕張岳が顔を出している。

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三菱大夕張炭鉱労組の建物跡に何か基礎のようなものが。

労組建物のものなのか

その後のダム建設用のセメントプラントのものなのか

その前の廃村後に操業していたのごみ処理施設のものなのかわからない。

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半分から下はこのように水没地帯になる。

水没地帯木も草も薄も生えにくいので

帰って往時のものやかつての自分の家がわかりやすいという話。

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これなんかはかなり新しいのでセメントプラントの

跡なんだろうと思う。

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ずっと先まで行く。

誰が集めたのか古い飲み物の瓶と缶。

もしかしたら当時のものかもしれない。

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振り返ってみる。

真正面は大夕張炭山のずり山。

やはり昔はびっしり炭住が立ち並び

こんなにスカッとした視界はなかったのであろう。

ずっと人ばかりだったが何かの拍子に近辺に人がいなくなった。

何か取り残されたようでちょっと怖い。

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川岸のほうへ坂を下っていく。

土手の上に何か側溝か何かの跡が。

こいつはもしかしたら往時のものか?

この坂、帰りに何かの記事で

冬にそりを作って滑って遊んだとか書いてあった坂ではないかと思う。

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湖(シューパロ川)に出た。

全盛期のシューパロ川に水は

炭鉱で出た石炭を洗うので常に真っ黒だったというが

今はこの通り透明なきれいな水。

もう閉山から半世紀たっているのだから。

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夕方になってだんだん人が少なくなってきたので

そろそろ引き上げることにする。

この広場はおそらく大夕張鉄道終点の夕張炭山駅跡。

ここまでは看板は設置されていないようだ。

次回はこの辺の炭鉱設備などの

紹介の看板も設置してほしいな。

こんなに盛況だったのだから

次は絶対あるでしょう!

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帰り国道から鹿島地区を見おろす。

ここは千年町。

まだ人がちらちら残っている。

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旭沢橋と明石町。

今回予想外の渋滞で地元の人の案内を聞くことが

あまりできなくなってしまったのが残念だが

もらった地図もあって結構往時をしのぶことができた。

ただこの場所明石町周辺以外携帯の電波がほぼなくて

ネット情報を合わせてみることができなくて

少々残念ではあった。

今回実行委員会のほうでも予想をはるかに超す大盛況で

次回の開催を含めて夕張再生の何かきっかけになると期待しているそうで

やはり夕張は死んでも石炭の街だったので

今回も含めてその辺が観光再生のヒントなのかもしれない。

この後旧清水沢発電所と清水沢のずり山に登ったので

次回で倶知安の二つ目キューロクと

追分のデゴイチと合わせて紹介したい。

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このページは、ayu2が2020年9月 9日 00:20に書いたブログ記事です。

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