北海道のC62でも異色の汽車会社製の44号機が欲しくて
オークションで落としたのが昨年の10月。
まだワールド工芸の廃業の話もなかったので
比較的安く買えた。
早速作り出す。(昨年の10月の話)
まずは動力から。
北海道のC62でも異色の汽車会社製の44号機が欲しくて
オークションで落としたのが昨年の10月。
まだワールド工芸の廃業の話もなかったので
比較的安く買えた。
早速作り出す。(昨年の10月の話)
まずは動力から。
今年最後の大物作成。
そろそろ積キットも少し消化しようと。
まずは最近のキット
アルモデルからキングスキットの改良再販として発売されてるシリーズ
これはスハネ31(旧スハネ30100)のキット。
ディテールはほぼキングス新キットと同様ながら
格段に組みやすくなってしかも丈夫になった。
スハネ31(30100)とオハ34(33000→33980)
真ん中二つのオハ34がキングス時代のキットの組立。
アルモデルになって屋根がネジ止めできるようになって
屋根合わせの難易度が格段に下がった。
経年のせいかわからないが真鍮の素材の感じもちょっと変わった?
塗装開始。まずは帯色から。
三等車なので当然赤。
記事にするの遅くなったが
ステン9020に続きほかの6両も。
この通り車体は一体成型で
床下と室内と台車のパーツが付く。
一体成型なのもあって車体にバリも散見されるので
きれいに取り除く。
時々積層痕みたいな醜い傷もあるがこれはもう目をつぶるしかない。
また歪みなどもそこそこあるがこれも仕方ない。
baoshiさん所のBOOTHから九州鉄道ブリル客車のキ3Dットを買った。の
キットの内容はこの通りで
3D一体成型の車体に3Dの妻板を接着して
3Dの屋根をねじ止めするもの。
車体はこんな感じ。
この車両、九州北部に路線を広げていた九州鉄道が
明治の末期にアメリカに豪華列車を発注して
完成して日本に届いたときには
国策で九州鉄道は国有になっていて
結局ほとんど使用されずに幻の豪華列車となった一連のブリル社製の客車のこと。
戦前から散発的に話題になっているがその実態は
残された図面とわずかな写真から推測するしかなく
実写も早々に検測車などに改造されてしまって
その色すら様々な説がある。
原信太郎氏が作らせた一番ゲージ(45mmゲージ 1/32)が有名だが
これは原氏の完全な創造とあこがれの仕様と色となっていて
これをもとにしたJR九州のリゾート列車ともども
この色仕様ではないらしい。
これが妻板。
結構基本型客車と同様な雰囲気である。
ヤフオクで手に入れた謎のステン9020の3Dキット。
クリエイトテラさんという名でBOOTHで出品しているという噂も。
とりあえず1912年から1923年までの基本型客車時代の
特別急行車両を1両でも手に入れたということで早速組み立てと塗装をしてみる。
まあ一体成型の3Dキットなので組み立てはあまりないが。
まずは全体にサーフェイサーを噴く。
ここで全体を細かいやすりでやすって
積層痕をきれいに消したいところなのだが
木造車で木目のディテールがあるので
大きなバリなどを取るにとどめておいた。
最近の光造形3D技術も大分こなれてきたので
特に気になるような深い積層痕はない・
政府の後押しがあるのかないのか
再び試験運用が本格的に始まっている
低床コンテナ車のコキ73。
いつも4042レの先頭にくっついて新鶴見で見かけているので
興味津々。
某甲府のほうのモデル屋さんが
タイムリーにペーパーレーザーカットキットを出したので早速。
この一番左の使用せずに余るパーツは何だ?
と思っていたのだが後から知ったのだが
実はこれコキ72用の手すりだそうだ。
ぱっと見手すりと色くらいしか違いが判らないですから・・・。
次は上り方先頭車。
一体成型の顔を切り取ってから
原形窓先頭パーツを接着。
キットが一体成型になってからこの作業地味にめんどくさい。
前回の100番台と
これに定番のキッチンの原形戸袋窓と
タヴァサの2段窓のプレスドアを取り付ける。
次に100番台クハ86.
300番台の運転席部分とクハ85の客席部分を繋ぎ合わせるが
戸袋窓の前後を短縮しないと車長が長くなってしまうので
切り継ぎ個所が2か所増える。
前面は造形の良いクモユニ81のものを持ってくる。
後ろの妻板はクハ86300のもの
本当はクハ85のものを使いたいところだが
幅が広くなってしまうのでNG。
クハ85_100の説明書きに
例のGM言葉で
「切り継ぎ加工により・・・・生まれ変わらせられる可能性・・」
と言うことで
今回はこれからクハ86_100とサハ87_100を作る。
モハは切り継ぎが少し多いので今回は見送り
(サハより切り継ぎが多い理由は後述)
折角なのでアルミサッシ窓をはめ込みたいので
まずはモールドのサッシを削り落として
KATOのスハ43などのアルミサッシをはめ込む。
この80系100/200番台車は
シートピッチ拡大車で窓割の関係で
窓の寸法が950mmとほんの少し狭いので
このようにやすりで少し長さを短くする。
横の銀枠がギリギリ残るくらいでちょうどよい。
実際は50mmの違いは1/150だと0.33mm。
このキットだともう少し短い。
その1からの続きで
3枚窓の1次型の更新前姿への改造に移る。
まず全面窓のHゴム綺麗に削って
更にシルヘッダーまで窓を拡大して
0.3mmプラバンを切り抜いてぴったりはめ込む。
接着剤が十分に乾いてから
窓をくり抜いて窓枠を作る。
ライトも形が違うので削ってしまう。
後ろは26年、27年製の4次、5次型の中間車を作成中。
ライトはタヴァサの半流砲弾型を埋め込む。
そしてその1のように
戸袋窓とドアを原形化する。
GMの80系の1次車キット。
昔は車体も組み立てるタイプだったのだが
塗装済みキットとの兼ね合いからか
今は車体一体成型の(屋根板は別)キットになっている。
1次車とは言ってもこの6両キットには
正面が3枚窓の1次車と俗にいう湘南顔の2枚窓の
3次車(2次車)が1両ずつ入っている。
ちなみに妻板の窓の形態は小さな1段窓の1次車である。
したがって2枚窓の3次車は妻板に目をつぶらねばタイプになってしまう。
(中間車は全部1次型)
いずれも昭和32年以降に始まった更新車ということで
戸袋窓やドア、前面窓がHゴム化されたバージョンなので
湘南準急だと153系化される直前の姿となるが
恐らく153系化までには更新車のほうが少なかった模様。
なのでこのGMの国電前面パーツについている
原形顔(右から2番目)を使う。
そして
原形化に必要なパーツは
キッチンの80系初期型戸袋窓枠パーツと
タヴァサの1000mmドアパーツ(3枚ガラス)。
すでに秋には完成していたのだが
このblogでままだ発表していなかったEF13やトキ900などを
品鶴線とは今の横須賀線の鶴見品川間のことで
昔は山の手貨物船(今の埼京線)と一体になって
首都圏がらみの長大貨物列車がばんばん通るような路線でした。
その品鶴線の1950年代をイメージした貨物列車を
まずこれはワールドキットのEF13ラストナンバー31号機。
まだヘッドライトがおでこについている昭和28年ごろ仕様。
こんな風にヘッドライトをくりぬいて
このLEDを使って点灯化した。
ワールドの古典貨車4両セットのキット。
ワールドのセールで3割引きくらいであったので購入。
内容はテ1、チキ300、ツ1000、フリーの有蓋緩急車
と言う内容。
まずはテ1を組み立てる。
余っていたワールドのバッファー付けて
昭和初期の改名前の姿に
完成、おそらくプロトタイプはテワ1257だと思われるので
それらしい番号を付けて。
その他「工」マークや標記類は
IORI工房のワ6837付属のデカールをそれらしく。
キッチンから発売になった
夕張鉄道201号と202号。
いわゆるキハ07のコピー車両の1つなのだが
最初から前部窓が4枚(キハ07は6枚)だったり
おでこが張り上げ屋根だったり
このキットのモデルの末期更新後には
真ん中のドアが埋められたり
さらに液体変速機に改造されてりで
個性的なキハ07シリーズではある。
今回は201号のほうを作成。
更新後なのでアルミサッシ化されているのだが
窓枠はこのように切り離せる構造になっているので
切り離して先に銀に塗っておく。
流線形C53と同時に入手した
ワールド工芸EF55の5代目キット。
現行6代目と異なるのは
6代目がオリジナルのロスト+エッチングのパンタなのに対して
5代目はTOMIX製のPS14なことぐらいだと思われる。
ちなみにコアレスモータになった7代目が発売予告された。
早速組み立て。
巨大ロスト部品の前頭部と車体の
はんだ付けに少々神経を使うが
他は流線形だけあって部品数も少なく
難所はほぼない。
ワールド工芸のC53流線形キットが手に入ったので組んだ。
キットは2010頃に発売された精密ギアになった2代目のキット。
この車両これからおそらく再生産掛かっていないので
貴重と言えば貴重、人気薄と言えばそうかもしれない。
早速説明書通り組み立てるが
説明書のA1-2(下回りとねじ止めするための部品)ががつくところの
ボディの内張りの各穴が開いていない。
不良品か?
でももうメーカーに問い合わせてもまず在庫ないと思われ
まあ何とかなるだろうということで制作続行。
ちょっと積キットがまた増えてしまったので消化。
今回は6000形電気機関車。
東海道横須賀線電化に際して1923年に6両輸入された
デッカーの一族なのだが
6000形のうち600-6002の3両は
横浜港で関東大震災に遭遇水没し
引き上げ英国に引き返し再制作された機関車。
デッキ付きの左右非対称ボディの
他のデッカーとは異なった外観を持つ。
2両が戦後横須賀線に舞い戻ってきて
1970年ごろまで久里浜の主として君臨していた。