次は上り方先頭車。
一体成型の顔を切り取ってから
原形窓先頭パーツを接着。
キットが一体成型になってからこの作業地味にめんどくさい。
前回の100番台と
これに定番のキッチンの原形戸袋窓と
タヴァサの2段窓のプレスドアを取り付ける。
次は上り方先頭車。
一体成型の顔を切り取ってから
原形窓先頭パーツを接着。
キットが一体成型になってからこの作業地味にめんどくさい。
前回の100番台と
これに定番のキッチンの原形戸袋窓と
タヴァサの2段窓のプレスドアを取り付ける。
ワールドの8000形電気機関車がやっと完成した。
組み立てたのは4段ベンチレータのほう。
8000形は昭和頭に多種類輸入された英ベッカーの
機関車の一番の大物であるのだが
最初から通気が問題になっていたらしく
ごく初期からこのように
ベンチレーターを3段から4段に増設した車両が見られたらしい。
車体の組み立てはワールドのキットなので
特に問題もなく簡単に組みあがる。
前照灯は点灯化するので
中をルーターでくり抜いて
LEDが入るようにする。
最近ワールド工芸から立て続けに発売されている
原形明治時代蒸気であるが
今回はなんと謎車である190形が発売されてしまった。
早速組み立てる。
とにかく全長が短い。
組立はこの大きさの車両なので
部品点数もそれなりなので時間はかからない。
特徴的な大きな水タンクであるが
折り曲げの順番を適当にやるとうまくいかないらしい。
作例も無理やりやってしまったので少々歪んでしまった。
機関部が出来たので1号(150形)と160形と比べてみる。
モデモのスハ33を何両もため込んだので
そろそろ本格的運用開始すべく
戦前型への塗り替え。
スハ33900(初代)へ原形復帰。
床下はGMのガーランドベンチレーターについてくる
大型電池箱とキングスのHM時代の水タンクのレジンコピーで
戦前のダブルルーフ客車の床下に復元。
セット分の7両が完成したので走行動画を
このように最難関と思われる雨樋は
位置決めしてクリップで挟んで
ハンダを少量点付けしてから
全体に流す。
妻板の縦樋は0.4真鍮線を半田付けするのだが
先に真鍮線を半田メッキすれば特に問題ない。
室内灯を付けるために
台車も集電対応に
車輪はKATOの集電対応スポークを使用。
台車片側をテープで絶縁してプラネジで組み立て
片側の台車は車体と絶縁するために
切ったプラパイプを付属の金属パイプの代わりに使い
絶縁ワッシャで組み立てる。
最近完成品もキットもメーカーの販売ペースが異常に早くて
積みキットだけでなく積み完成品も溜まりつつあって
何か嫌な感じなのだが
10月に発売されていたワールドの
18900形(C51原形)のキットがようやく完成した。
初期ロットのなので
例の部品間違えがあるので
(ウォームギヤと動力車輪)
SSに電話して交換部品を送ってもらう。
とりあえず上回りから組み立てる。
ここの工程はきっちり精度出さないと
後々まで響くので慎重に。
160形に続いて発売された150形(1号機関車)。
実物はイギリスバルカンファウンドリー社から輸入当時、
使用実績が芳しくなく
10年もたたないうちに転属、大改造されたのであるが
モデルは160形は明治中期くらいの時期なのに対し
この150形は輸入当初の姿。
少し発売から時間がたってしまったが最古客車も含めて
目標は桜木町の急横ギャラリーのこの編成ということで
このキット、一部パーツに不良がある(必要な穴が貫通していない)
があり電話すると修正部品が送られてくる。
下の切り抜いたパーツが修正部品。
上のエッチング版の真ん中のパーツが不良品。
旧横の1号機関車は少し明るめの緑色。
鉄博の保存機は真っ黒に赤のライニング。
旧交通博物館時代は英国調のグリーンだった。
前述のように使用実績があまり芳しくない150形は
錦絵などにもほとんど登場せず
(錦絵はシャープスチュアートの160形がほとんどで
あとはエイボンサイトのA3形やたまに改造前の190形が出てくるくらい)
正確な色どころか大まかな色も実ははっきりとしていない。
作例ではやはり黒以外だと緑系統が圧倒的なので
今回は緑系統で攻めることに。
桜木町で復元された鉄道開業時の最古客車の中等車。
鉄道開業時の車両でいつも問題になるのは
カラー写真など存在しない頃なのでその色なのだが
JR東日本の最近の解釈はこの色らしい。
その筋の人々の間では桜木町色などと噂されている。
と言うことでIORI工房の中等車のキットで
桜木町色を再現することに。
マスキングではなく車体の木枠を接着前に塗り分けることにする。
ベースはクレオスのレッドブラウン。
木枠に色だが実際にいろいろとやってみて結果
かなりの厚塗りになってしまったのだが
GMカラーの黄さび色をベースに塗って
その上からクレオスのGXクリアオレンジの塗り重ね。
窓枠とマンセルホイールは
クレオスのサンドイエローにGXクリアオレンジ。
と言うところに落ち着いた。
あまり混色させても何両も同じ色にできないのでそこは
ある程度で妥協。
blogに勝手に載せてよいのかわからないが
とあるところで見た昭和初期の沼津の写真に
C51208号機が写っていた。
テンダーは燕仕様のままで給水ポンプ一変形のままでデフ付き。
おそらく昭和10年過ぎくらいと思われるが
もちろんテンダーの10000km限定表記はない。
反対側の写真はないがこの様子だとおそらく
単式コンプレッサーのままだと思われる。
と言うことで早速ワールド工芸の208号機キットを手に入れて
定番工程のキャブからの組み立て。
ちなみにこれもどこからか出所が今となっては不明だが
燕牽引指定機だった171号機のデフ付き。
編成から見るとおそらく燕をけん引していると思われる。
スハにはダブルルーフのようだし
丹那トンネル開通前?
ひとまず仮完成。
一部まだない車両もあるが
とりあえず出来た車両だけでそれなりの編成が組めるようになったので
電飾に入る。
室内灯のテープLEDとヘッドライトと尾灯のチップLEDを
こんな感じにチップダイオード、抵抗などの基板と繋ぐ。
何気に1005チップLEDへの配線の半田付けがつらい。
両面テープで留めて
半田を端子にちょっと盛って
それから0.1んぼ被覆線を付ける。
しばらく続いた明治シリーズは少しお休みで
今回は夕張シリーズとして
ワールドの真谷地5052号機を組んだ。
ボールドウィン製のこのカマ、
元は東海道線の箱根越えに明治30年代に投入された8100型で
戦後まで一両もかけることなく全20機が
北海道まで落ち延びて健在だった。
この手のキットはテンダーから組むのが取っつきやすいので
早速テンダーを組み立てる。
この8100型はさらに北海道の炭鉱などに払い下げられて
1960年代中期まで活躍した恐ろしく
息の長いカマ。
粗製乱造気味のボールドウィン製のカマは
このカマに限らず大味なところがカエッテ良かったのか
恐ろしく長生きしたやつが多い。
この5052号機も結局1966年まで活躍した。
かなりの話題になった国内初?のSLプラキットの
トーマモデルワークスの日車Cタンクキット。
当初は気にも留めていなかったが
あちこちで作成記事がアップされているので
一つ組み立ててみることにした。
まずは下回りの動力部から組み立て。
基本的には説明書通りで
1mm洋白線にウォームギアを入れるところは
ウォームの穴を1mmのドリルでさらってから入れるのだが
なかなかするすると入らずに時間がかかった。
動輪の輪心は最初からはめ込まれていて手間いらず。
またクランクピンはワールドやKATOなどの完成量産品などと違って
ネジになっているので気楽に何度でもつけ外しができる。
一番左のウォームは上回りにあたる恐れがあるので
少し後ろ寄りに付けるの指示であるが
少し大げさにやりすぎてしまって
後退のとき大げさなギア鳴り&びびり音がするようになってしまった。
いずれも差し込んで調整のあと
嫌気性接着剤(ロックタイトなど)で固定する。
前にLEDなどかなり買い込んだことを思い出し
探すと大量にいろいろ出てきた。
今回はその中からテープLEDを使う。
テープLED電球色を2ユニット分きりだし
ブリッジダイオードを半田付け。
小手先が汚くて半田付けも醜くなったがまあ良い。
試験点灯、少し明るすぎる気もするがまあ合格。
今回ちらつき防止のコンデンサーや
明るさ調整の抵抗は何もつけずに取り付けてみる。
まずキングスホビー改良前の金属床製のキットに取り付け。
基本的に台車の中心ピンから集電できるようになっているので
普通に極細のリード線で集電させる。
前にJMNAフェスでIORI工房の
木造客車キット買ったのだが
やっと組始めることにした。
レーザーカットによるペーパーキットで
最近はストラクチャーなんかでよく見る方法である。
このシリーズこの大型2AB型のほか
明治時代の古典客車などかなりのバリエーション展開がある。
Nでペーパーの車体なんてそれなりの形になるのか
不安を持ちつつまずはナハ22000から取り掛かる。
IORI工房のtwitterに記載のある通りに
外板の貼り合わせはタミヤセメントの白キャップを使用。
これだと多少の位置直しも可能だし
外板が反り返ることもなくって確かに調子がいい。
問題のシルヘッダーだが
twitterでは瞬間接着剤の使用と書いてあったが
実験でやってみたらあまりうまくいきそうもないので
ここは帝石に木工用ボンドで(多少うすめて)貼った。
助手席窓が過度の丸い合わせガラスの
少し癖のある顔のクモハ54112。
大分その54112の顔になってきた。
種車はLJの半流クモハ41クハ55キット。
ただ運転席窓も助手席窓も違うし
乗務員扉も違うプロトタイプなので
種車の選択があっていたのかは不明。
助手席窓は窓枠を削って
そこにプラ板をはめ込み
その後合わせガラス窓の穴あけ。
運転席窓はシルヘッダー間を
完全に切り取ってしまって
面一となるようにプラ板をはめ込み
キハ58の戸袋窓が
ぷったり収まるように窓開け。
乗務員扉はタヴァサのGタイプ。
ちなみにキットとは反対向きの偶数向きなので
クモハではなくクハの車体を使用している。
昭和53年頃のクハユニを含む3連の
30台運用の編成に組み込む予定なので
時期的に運転席窓はまだ
Hゴム化されていないかもしれないので
運転席窓はキットのままの原型でも
よかったかもしれない。
こちらは未組み立てのクモハの車体。
このように54112とは
手すりの位置などを含めて何もかも違う。
このような原型に近いタイプは
末期には小野田線あたりにいたようだ。
実車通りKATO合の子クモハ53007の
正式の相棒とするつもりで作成。
種車は鉄コレの福塩線のクハ68。
実車と同様にトイレの取り付け工事。
そしてスカ色への塗り替え。
問題のガラス側表現の窓枠は
マスキングしてボディーと一緒に
クリーム1号で吹き付け。
鉄コレの欠点の窓枠の違和感が
かなりなくなったと思う。
毎回2編成ずつ発売される
KATO飯田線シリーズも
第3回目になった。
まずはクモハ54133。
どちらかと言うと特徴が少ないのが特徴の
54の100番台でもこの133は
少しだけ癖がある車両。
珍しい屋根へあげるステップと
ドア脇の手すりの併設や
運転席窓の静鉄形のHゴム形態など
抜かりなく表現されている。
顔の雰囲気も悪くない。
ただ残念なのは特徴ある
母線の引き回しは表現されていない。
また大型の避雷器の台座は
実車もそうであるかよくわからない。
133号車はこのように母線が
ランボードの横から飛び出す特徴的な屋根上配線。
ちなみに131号車も前述の手すりを除けば
屋根上も含めて133号車とかなり似ている。
54133はせっかく作ったのにKATOに
思い切りかぶられてしまったが
自作車は初期型クハ55改造の
クハ68409と組んでいる
S53年以降の編成。
KATOは半流クハ68414と組む
S53年以前の編成なのでまあ良いか。