ワールド工芸のC53流線形キットが手に入ったので組んだ。
キットは2010頃に発売された精密ギアになった2代目のキット。
この車両これからおそらく再生産掛かっていないので
貴重と言えば貴重、人気薄と言えばそうかもしれない。
早速説明書通り組み立てるが
説明書のA1-2(下回りとねじ止めするための部品)ががつくところの
ボディの内張りの各穴が開いていない。
不良品か?
でももうメーカーに問い合わせてもまず在庫ないと思われ
まあ何とかなるだろうということで制作続行。
ワールド工芸のC53流線形キットが手に入ったので組んだ。
キットは2010頃に発売された精密ギアになった2代目のキット。
この車両これからおそらく再生産掛かっていないので
貴重と言えば貴重、人気薄と言えばそうかもしれない。
早速説明書通り組み立てるが
説明書のA1-2(下回りとねじ止めするための部品)ががつくところの
ボディの内張りの各穴が開いていない。
不良品か?
でももうメーカーに問い合わせてもまず在庫ないと思われ
まあ何とかなるだろうということで制作続行。
1か月に1両ずつ増備して10ケ月でやっと
フル編成になった特別急行3、4列車
いわゆる後の特別急行櫻。
3軸台車のTR71を履いた20m級の
3等木造客車をずらり並べた編成は
1、2列車とはまた違う魅力があるように思える。
走行抵抗の大きい編成を無難に走行させるために
荷物車の1両を鉄コレ動力で隠れブースターにしたのは前回の通り
コリン堂の木造客車のキットだが
全体としてカミカタメールで硬化させて
(ちなみに一気につけたりするとペーパーが伸びて狂いがちなので
少しずつ筆で塗る方法によって時間をかけて処理する。)
接着はプラセメント(白キャップ)で行い
剥がれかけたところも出てくるので
緑キャップを流し込んで白キャップを溶けさせて再硬化させる。
先日のC62東海道に続き今回はスワローエンゼル2号機の入線。
今はスハ44系でビシッと決まった戦後のつばめには
興味が薄れているので
実は今じゃないのだが無理やり買わされている感満載。
もっと昔から出ていそうだが
実は旧製品を含めて完成品メーカーとしては本邦初の
宮原型のC62。
宮原区独特の炭庫の外に増設された
重油タンク。
またキャブ屋根とドアの境目なども形なども
日立製C62のごく初期型の独特の角ばった携帯。
長いこと再生産がされていなく(最後は2010年)
ほぼ市場から消えていたKATOのC62東海道が
再生産を機にコアレスモーター化された。
上回りはほぼ同じかと思っていたが
この通りかなり細かく改良されていた。
この範囲でも(左は旧製品スノープローはやえもん製)
煙突(消灯機構の廃止)、ランボードの網目、
手摺付き薄型デフとピストン尻棒やヘッドライトなどなど
かなり魅力度アップされている。
正面ナンバーの位置は3号機みたいにやや下目になった。
残念なのは他の仕様と同様に樹脂化されたハンドレール。
これでもだいぶ修正したのだが
結構ぐにゃぐにゃで
これだけは金属製だった初回生産型のほうが良かった。
それ以外に関しては10年の分のブラッシュアップがされていて
走りも実になめらかで素晴らしい。
blogに勝手に載せてよいのかわからないが
とあるところで見た昭和初期の沼津の写真に
C51208号機が写っていた。
テンダーは燕仕様のままで給水ポンプ一変形のままでデフ付き。
おそらく昭和10年過ぎくらいと思われるが
もちろんテンダーの10000km限定表記はない。
反対側の写真はないがこの様子だとおそらく
単式コンプレッサーのままだと思われる。
と言うことで早速ワールド工芸の208号機キットを手に入れて
定番工程のキャブからの組み立て。
ちなみにこれもどこからか出所が今となっては不明だが
燕牽引指定機だった171号機のデフ付き。
編成から見るとおそらく燕をけん引していると思われる。
スハにはダブルルーフのようだし
丹那トンネル開通前?
記念商品ということもあり値段も高いので
ずっと買うのを躊躇していたが
20周年記念誌の引換権も5月いっぱいまでというので
思い切って1年遅れでの入線となった。
でもNの蒸気では珍しい戦前仕様ということもあって
やはり買ってよかった。
とりあえずC51燕との並び。
IORI工房キットのナハ22000系列を牽かせるには
まさにぴったりの形式。
ディテールや全体のバランス、さらに走りなど
非常に高次元でまとまっており非常に満足度も高い。
有井のC53デフ付き前期型は
実は増炭済みの20立方テンダー振替が行われた
特急牽引機使用である。
折角だから軽くディテールアップ。
テンダーには浜松工場お墨付きの10000km限定マークを入れた。
付け足した配管類がわかるように塗装前の写真。
前回のデフなしの時のような前デッキの
角度変更は今回はデフを生かしたかったので省略。
まあデフなしと違って角度が緩すぎるのは
さほど目立たないので。
ヘッドライトはKATOの旧C57用。
5年前の東日本大震災の時にキャブの屋根に
傷が入って稼働率が著しく落ちていた
KATOのC62東海道形だが
そのパテ埋めと部分塗装するならついでと
スノープロウの姿にしてみた。
使ったのはやえもんデザインのC62用東海道形というパーツ。
デッキ下のステップを一段切り取った後に
端梁に0.8mmの穴あけ、長方形に拡大して
取り付けた。
ついでにナンバーを16号機から世界記録機の17号機に。
-----
そしてもう1題は
もう2年もずっと一人ぼっちだった
KATOのC57の4次型(ナンバーはC57192)だが
やっと牽引する列車を手配させてあげられた。
もちろんS49の急行日南。
キングスの燕水槽車キット完成。
実車は機関車と同じプレートがつけられていて
あくまでもテンダーの追加扱いとなっていたそうだ。
色は最初GMの黒を塗ったのだが
半艶具合がどうも気に入らなかったので
ガイアの艶ありの黒を上塗りしてみた。
KATOのマイテ49よりの小改造と塗り替え。
古くからあったKATOのマイテ49。
出来は良いのだがデッキなどは戦後の仕様で
床下機器の配置などは戦前仕様という
よくわからない時代考証になっていたので
どうせなら戦前の「富士」の仕様にしてしまった。
展望デッキは柵からテールマークと尾灯を
綺麗に削り取って
(意外に難しく左側は失敗気味)
右側下部に新たに標識灯と
訓令式ローマ字「HUJI」のテールマークをつけ
さらにガイアのぶどう色1号に塗り替えて
レタリングを2段標記でスイテ37041にした。
有井のC5345デフなしから。
加工点は
前デッキを裏から筋を入れて角度を急に。
車高を1.5mmほど下げた。
キャブ窓を少し大きくした。
ヘッドライトをKATOのC57用に交換。
適度なディテールアップ。
再塗装(黒や青系統等を適度に混合した)。
といったところか。
ナンバープレートはレボリューションのC53形式入り
C5341は特定番号機というわけではなく
標準的なC53と思われるディテールにした。
正面から。
これでなんとなく違うような有井の
C53が結構まともになった。
C53もやはり有井の製品が一番牽引力があり
重たい金属車両を牽かせるにはどうしても必要なので
有井C53が似ているようにできるのは非常に有意義である。
そのうちにもう1両くらい増備しようと思う。
(捕捉:C53 41号機は後に大鉄デフ+20立方テンダー振替で
な特急仕様機。なので後日またナンバーを変えた)
ダイキャスト変形で不動となったマイクロのC53。
先日メーカーに修理依頼で送ったことは書いたが
もう修理が上がって郵送されてきた。
火曜日着で送ったから中1日で出来上がったことになる。
去年C53が再生産されたとき動力部が変更になっていて
前からモータ直前まで全部ダイキャストでいっぱいの
動力(通称マッコウクジラ)になったのだが
修理依頼のものもこの新型動力に交換になるのかと思っていたら
変形したダイキャストが交換されて戻ってきた。
おそらく対策部品なのであろうがそれにしても1日で2台を
分解-フレーム交換-組み立てとやっつけてしまうなんて
このメーカー、少し見直した。
マイクロのC53、しかも一番最初に出たA7001C53-43流線型と
A7002C53-45デフなしだけに起こるダイキャストの崩壊問題。
写真の下はC53-45だがダイキャスト変形が進んで
ギアボックスの裏ブタのネジが勝手に吹っ飛んでしまった。
当然動輪は全く回らなくなっている。
上のC53-43も動輪が指で触っても全く動かない状態。
メーカーにメールを入れたら3回にわたって無視されたので
電話した(応対可能時間が平日10:00~12:00/13:00~17:00と言う
まったくもって不親切であまり力を入れていない感じだったので心配したが)
以外と対応は丁寧で着払いで送れば対応動力に付け替えて
送り返してくれるということだった。
上回りを色々改造してしまっているの旨を話したら
動力だけでも良いそうである。
期間は比較的すいているので1カ月はかからない
みたいな話であった。
久しぶりのNネタ。
しばらく放置状態の有井C53を塗装前まで完成させた。
しばらくぶりなので改造箇所はすべて記述する。
有井の製品の初回生産分より。
ご存じ梅小路のC53 45であるがこの時の製品は
昭和36年に一度だけ行われた復活運転のときを
モデルにしたようで煙室前部の手すりなんかも
現在の原型のものとは違う形である。