まずは斜里町内のダルマ。
1枚目は北浜駅から道路を挟んだ反対側の農協にあったもの。
車番等一切不明だが2両ともワム60000と思われる。
2枚目は斜里町内の公民館にあったやつ。
これもワム60000か?
斜里町の公民館ゆめホール知床に保存されている58683
地元釧網線には関係ないカマで
最後は広尾線で廃車になったカマ。
地元の保存会にて整備されているようで
充分ではないけど時々塗り替えなどの
メンテナンスや掃除もしてもらっているようだ。
謎なのは子のテンダー上の手すりと言うか物干しのようなもの。
戦前燕のテンダーをほうふつさせる感じだがはて?
形態としては切り詰めデフなど末期の北海道のキューロクの
典型的な姿。
2段ランボードに背の低いテンダーをかさ上げ
煙突は延長なし、キャブ窓は連続窓に改造済みと
まあかなり多い形態のキューロクである。
そして根室標津駅跡の転車台とC11224。
標津町標津文化ホールから現地に移設されてすでに6年。
ちょっと過剰な化粧のような気もするが
ビニールハウス製の車庫も作ってもらって幸せそう。
標津の区名標もしっかり
運転室内にも入れる。
後ろのタンこの部分にはバッテリーなどが積んであって
電動で自走できる。
ちょっと怪しげな祠も。
折角なので空撮してみた
根室標津の1つ手前の川北駅跡にあるキハ22 168
一時塗装もかなり痛んでいたが塗りなおしもされ
まあ何とか持ち直した。
ベンチレーターが6このタイプの
初期型のキハ22は現存車は結構貴重ではないかと思う。
集会所か何かの代わりに使われているらしくて
車内は板張りでもぬけの殻。
そのため中央左右の排気煙突がよく目立つ。
庇なしの豚鼻2灯に単線スノープロウのいで立ち。
そしてさらにもう一つ先の駅の上武佐駅跡。
左はバス停の待合所。
奥の建物は映画のセットになった旅館かなにか。
そして駅があった証の看板。
草刈りは行われているようで
今年もちゃんとホームの跡は確認できた。
そして武佐の集落跡の神社の境内にある
植民鉄道の転車台跡。
この看板にある通りごく短期の運用だったようだが
大きさがわかりにくいので500のペットボトルを置いてみた。
ガソリンカーの転車台と言う話だが
単端車でホイルベースもこの大きさの小型なものだったのであろう。
標津線開業で廃止とあるがここ武佐は
標津線は通っていない。
次回は奥行臼の国鉄駅跡と軽便車両
それに上春別駅の保存車両の予定。
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