道南鉄分補給の旅 (その3 摩周丸編  6/25)

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秘境駅編の前の話

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今日は函館駅のすぐ裏にあるここ

青函連絡船の摩周丸にやってきた。

それは

25日の夕方の天気図であるが北海道に閉塞前線がかかっていて

西方には本体の低気圧が控えている。

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恐らく低気圧は閉塞前線に寒気を吸い取られて

急速に衰えていくと思われるが

閉塞前線上のどこに新たに低気圧ができるとも限らない。

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昼過ぎのレーダー。

やはり道南地方、ところどころ強い雨雲がかかっている。

ということで

自転車に乗ることは完全に無理なので

早めにかの秘境駅に着くのを目標に

(と言っても3月のダイヤ改正で

下り2本、上り4本しか停車しなくなって

函館からだとどんなに頑張っても15:13着が最速。)

朝函館駅で12:16発のS北斗11号の切符を買って

それまでの間、懐かしいあの青函連絡船じっくり見ることにした。

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摩周丸に近づく。

残念ながら鉄道車両を船に乗せる可動橋は残っていないが

(可動橋の主塔は最初の写真のように残っている)

洞爺丸沈没の反省から完璧に密閉された車両デッキ扉ものものしい姿が。

ちなみに青森の八甲田丸の岸壁には可動橋は一緒に保存されている。

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一瞬グルーズ客船かと見間違えそうなカッコいい船影。

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早速500円払って中に入る。

エントランスには青函連絡船末期のポスターがそのまま綺麗に貼ってある!

すでに心は30年前にワープ。

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船の受付案内所はあの時のそのまま。

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さすがに客室は全部保存されているいるわけではないが

このように普通客席とグリーン客席が一部再現されている。

正面にはモニターがあって青函連絡船の歴史が上映されていて

そのシアタースペースも兼ねている。

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先ずはグリーン座席。

さすがにリクライニングは固定されているが

足置きを引き出せる。

背もたれの脇についているものは読書灯。

いまと違ってLEDじゃないのかなりゴッツイ。

グリーンは指定席もあって

グリーン客は青函名物の席取り合戦とは無縁。

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そして普通席。リクライニング機構はなく

何となく181系や485系初期車のシートに似ている。

でも夜の便はこの席みんな敬遠していた記憶がある。

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青函連絡船のイメージは椅子席じゃないと思い探すと

ちゃんと残ってましたカーペット席。

確か毛布があって横になって寝ていた。

3時間50分は結構寝れた。

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摩周丸の模型。大きさは全長1m位でかなり大きい。

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4本煙突が特徴の初代摩周丸。

これは悲劇の洞爺丸と同型船。

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青函連絡船の船の移り変わりもこんなかわいいい模型で展示。

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やはり青函トンネル計画が本格的進すむきっかになり

世界でも有数の死者をだした洞爺丸の事故については

ずいぶんたくさんの資料が置いてあった。

この後ろの車両甲板から海水が大量に入って

その結果ボイラーが止まってしまったのが致命傷になった。

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操舵室にも入れる。

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操舵室から。函館山は残念ながら完全に雲の中。

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風雨がおさまったのでデッキも解放された。

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自動車の搭載デッキ。

露天で12台しか積めない。

これが青函連絡船の致命傷になった。

結局鉄道客以外は青函フェリーニ流れてしまった。

旅客はすでに飛行機の時代になっていたのもあるし。

何処から車を出し入れするのかと盛ったら

写真正面の柵(一部形が違うところ)が開くようになっていて(両舷とも)

青森では右舷からスロープで

函館では左舷からエレベーターで乗下船したそうだ。

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2時間かけて摩周丸を満喫し函館駅へ戻る。

函館駅はホームが北方向へ移動して

あの長い連絡船からの連絡橋もきれいに撤去され

新駅舎ができて

このように超バリアフリーな駅になった。

だが、しかし、室蘭方面の大雨の影響で

なんと札幌方面の特急は運休になってしまっていたのである。

払い戻しの緑の窓口は長蛇の列。

仕方がないので作戦を変更して

自販で夕方の北斗19号に乗変して

森行の各駅に飛び乗ったのである、その2へ戻る

コメント(1)

最後に青函連絡船に乗ったのは、塾高3年の修学旅行ですね。高校生ながら、酒飲み旅行だったのを記憶しております。なんか寝ぼけて、連絡船に乗り換えたのか?あまり乗車の記憶なし。
最終日は札幌自由行動。全員私服に着替えて、半数はススキノトルコ○○へ、半数は札幌○○○園へ。
体育科の教師がいてビビったのを覚えております(黙認か???)
で、帰りは飛行機だったね〜

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このページは、ayu2が2016年6月29日 09:01に書いたブログ記事です。

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