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 冬の間にまだ開封さえし切れていない
新製品がうず高く積まれているが
やはり思い入れ深い上越特急ということで
引き取ってきてすぐに試運転に。

右が今回の新製品。
左は旧製品の181系を精密特定番号化したやつ。
晩年までロングスカート、帯なしで東海道時代の
そのままの姿で人気者だったクハ181-7

今回の新製品のナンバーは
クハ181-6と7だが
方は2両とも全く同じものである。
ので両車の細かな違い
6はミラーが支柱のみ残存、7はすべて残存。
スカートのタイフォン穴も
6はふち有、7はふちなしなどは
差別化されていない。

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 旧製品のときセットのクハと比べる。
ボンネットの手すりや点検穴やクーラーなど
かなり旧製品に比べると精密化されたが
顔の表情はいわゆるレジェンド流れのため
少し太い、ライトカバーのふちが深いなど
イマイチ似ていないような気がする。
ミラーもやっぱりゴッツすぎるし。

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 やっとこれでKATO181系も正式な長さになった。
というよりノーマル(クロハ改造ではない)クハが登場となった。

ちなみに前述の7号車をはじめ当鉄道のクハ181は
全車サハと切り継ぎをして正式な長さになっています。

クハ181-63

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クロ151-8の変わり果てた姿。
クロ改造車の中では最も遅くまで生き残った。

スカートのタイフォン穴は左右に離れたやや小ぶりなもの
そしてそのスカートはクハ180のように
セットバックして取り付けられている異端車。
しかもロールマーク施工車でもある。

車歴
昭和36年第8編成の1号車として田町新製配備。
39年に例の事故によるクロ151-7の廃車のあおりで
第9編成の先頭車にコンバート。
その後すぐに山陽路の向日町へ都落ち。
九州乗りいれ対策施工。
41年にクロハ181-8へ改造。
47年3月の改正後も山陽に残るが
最後までは向日町には残れず
47年10月にクハ181-63へ改造新潟転属。
昭和50,53年の大量廃車をも生き抜くが
ほどなく54年2月に廃車。

と何とも忙しくまたあらゆる改造がされた車両である。
同じクロ改造車でもクロ181-10改造の65号車
クロ時代の面影を多分に残しているのに比べ
こちらはその面影は全く残っていない。

凸凹編成の拘り

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前にサロの項でも書いたが
新幹線開業を見据えた昭和53年改正での
編成組み換えによって生じた凸凹編成。
模型でも高さの差にこだわっている。

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 左が485系断面のサロ181-1050番台。
右はやはり53年に車種間改造で
モロ180から改造されたモハ180-202.
どちらもKATOの製品の改造だが
車体の高さは無改造でも実車同様
サロ181-1050のほうが少し高くなる。

モハ180-200番台の詳細は前出。

モハ180-54

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クーラーの配置特徴的なモハシ改造のモハ180.
中でもこの54号車は改造時にベンチレーターが追加されず
また車端の換気扇も旧客室側にしかない変形車。
ただしクーラーの配置は厳密にはモハシのままでなく
旧ビッフエ側の二つを中央寄りに移設している。

この車両は経歴も少し変わっている。

昭和33年ビジネス特急「こだま」のビッフエ車として華々しくデビュー。
東海道新幹線開業後、山陽に流れたが
相棒のモハ181-4を100番台新製車のモハ180-115にとられ
しばらく休車となる。
45年10月にモハ化改造されると同時に新しい相棒モハ180-25を
モハシ180-11から譲り受け復活!
47年に新潟にやってきて、そして51年に廃車となる。

モロ181-5

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前述のモロ180-5の相方であり
履歴は同じく昭和35年新製。
昭和47年新潟転属、50年廃車。
昭和36年までのM車は避雷器はLA13であった。
後年LA15系に変えられたものも多いが
この車は廃車時までLA13を付けていた。
またパンタ台も原型の背の高いタイプのままである。

クハ181-65

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元パーラーカー、クロ151-10(クロハ181-10)。
この車とクハ181-10は乗務員扉上の水切りが
なくてどことなくスマートに見える。


昭和36年製のこの車両は
昭和47年に山陽を追われクハ化され上越にやってきた。
50番台車は基本的にショートスカート化されているのだが
この車両だけは何故かロングスカートのままだった。
九州乗入改造車ではないがタイフォン穴は
オリジナルではなくクハ1次車改のような離れたタイプ。

昭和47年以降のオリジナルクハの新潟転入車は
基本的にスカートがロングのままだったので
あまり目立つ存在ではなかったが
昭和53年9月まで生き延び50年の大量廃車のあとは
最後のロングスカート車として東海道の面影を伝えていた。

この車両も向日町でミラーの撤去が行われており
支柱を含めミラーは付いていない。

サロ181-1105

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昭和53年に登場したMG、CP付きの新製G車。
全部で6両製造され前述のサロ181-1050番台や
サロ180-1001と編成を組んだほか
この1100番台同士でも編成を組んでいた。
やはり「とき」の廃止が秒読みに入っているため
すぐに485系にコンバートできるように
サボ受けがあるほかはサロ481-1000番台と
まったく同じで当然車体の断面、高さも181系と異なり
凸凹編成になったのは1053で述べたとおり。

この1105は昭和57年12月予定通りサロ481-1505に改造され
青森に移りその後格下げ先頭車化改造され
クハ481-1108として勝田でその生涯を終えた。

サロ181-1053

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昭和53年改正で「とき」は遂に食堂車を外し
モロをサロに入れ替え183系と編成をそろえるようになった。
また編成3MG,CP化を行うことになり
CP、MG搭載のサロ181-1100番台を新製した。
不足分は前述の<a href="http://ayu2.com/train/2008/04/180-1001.html" TARGET="_blank">サロ180-1001</a>と3両の初期製造の
サロ481をコンバートして使用することになった。

クハ181-7

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新潟で末期までロングスカート、帯無だったのは
このクハ181-7ただ1両のみ。
昭和36年東海道特急大増発のため新製され
39年新幹線開業で東海道を追われ山陽へ。
さらに47年に新幹線岡山開業で向町を追われ
新潟にやってきた。
ミラーが綺麗に撤去されていたり連結器カバーが赤1色だったり
山陽の面影を強く残している。
ただロングスカートの裏にダブルのスノープロウを
装備してあって足回りが少し重々しい。

この車を含めて東海道時代に新製されたクハは
全車昭和50年から51年にかけて廃車になった。
さすがに東海道、山陽と長距離の仕業が続き
老朽化も早かったのであろう。

モロ180-5

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サロ181のオリジナル車とこのモロ180の6号車までは
専務車掌室の反対側がビジネスデスクになっていた。
サロは客窓と同じ大きさの窓があるのに対し
モロ180は一回り小型の窓がついていた。
このモロ180-5は昭和35年のつばめ電車化時に新製され
東海道新幹線開業後山陽へ流れ
昭和47年に新潟にたどり着いた車。

この車をはじめビジネスデスク付きの車両9両は
すべて昭和50年度までに消滅した。

モハ180-202

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改造サロとともに「とき」最末期の象徴だった
G車格下げのM、M'の200番台。
モハ180-202号車は昭和41年モロ180-102として
新潟に「とき」の増発用として新製配備され
1等、G電動車として活躍したが
昭和53年の「とき」の食堂車廃止、G車のサロ化によって
G車としての荷を解かれ相棒のモロ181-102とともに
格下げ改造を受けモハ180-202となる。
このときすでに上越新幹線の開業は秒読みに入っていて
かつてのクロハ-クハ化のときのような大掛かりな改造は
許されず、専務車掌室と荷物保管室をつぶして
客室化して窓を開ける小改造に留まった。
そのため窓割とシートピッチが一致していない。
外観がモロ時代とほとんど変わらないため
この200番台ユニットがサロの隣に連結されると
まるでG車が4両連なっている様に見え
かつての東海道時代をほうふつさせた。

このモハ180-202はなんと昭和54年に
踏切事故で相棒のモハ181-202を失うことになるのだが
変わりに相棒として抜擢されたのは休車となっていた
モハ181-29である。
このモハ181-29は昭和36年製の東海道、山陽流れであり
最末期の「とき」において最古参、唯一の旧151系であった。

そして昭和57年、老朽化のため上越新幹線開業を待たずに
その波乱に満ちた人生を閉じることになる。

 

クハ181-109

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クハ180-5とともに181系最後の新製車として
昭和44年に落成。
長く長野にいて「あさま」の先頭を勤めたが
「あさま」189系化に伴い昭和50年新潟に転属。

長野の車両は美しいものが多く
このクハ181-109もバックミラーが残るなど
新潟移籍時にはピカイチの存在であった。
だが新潟の雪の破壊力はすさまじく
1年後にはミラーは支柱を残して失われている。
模型はミラーが残っていたときの姿。

上越新幹線開通後の昭和59年に
485系の制御車クハ481-501に改造され復活。
平成5年に鹿児島でその生涯を終える。

クハ181-108

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昭和41年新製、44年「とき」新潟受持化以後
実質生涯を新潟で過ごした車両。
「とき」の廃止と同時に運用離脱。
181系の新製車グループである100番台はDT32系の台車を履き
少し近代的な外観のグループである。
スカートの小型の小判型タイフォン穴が特徴なのだが
100番台車は転属や車種間改造などが少なかったため
外観がどれもほとんど変わらなく写真等で車番特定が非常に難しかしい。

長野の車両はバックミラーが綺麗に残っていたが
新潟の車両は雪の為かこのように支柱だけ
さびしく残っている車両が多かった。

サシ181-11

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最末期の車両ではないがサシ181-11。
昭和36年の東海道特急増発用に
製造されたサシの2次型。
東海道、山陽そして上越と渡り歩き
上越新幹線開業を待たずして
昭和53年の「とき」食堂車廃止で
直流型電車食堂車の歴史を終えた。

末期の「とき」で簡易運転台が塗り分けられていたのは
この11号車のほかは5号車のみであった。
サシの1次型、2次型の外観の違いは
簡易運転台脇の手すりの有無のみである。

サロ180-1001

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この車両は元は昭和44年に「あさま」用として
落成した唯一の100番台サロ、サロ181-101である。

昭和53年10月改正で181系ときは3往復に減らされた上
183系と編成を揃えるためサシとモロユニットを外した。
それに伴い各編成2両づつのサロが必要になるが
残っているサロは長野で保留車となっているこの車両だけだった。
新製するにも数年で181系は全車廃車が予定されているため
3両をサロ481初期型から改造転用(サロ181-1050番台)、
485系にすぐ転用可能な485-1000ボディの
サロ181-1100番台を新製し
また保留車であったこのサロ180-101を整備した。

このような経緯で上越新幹線開業まで
走り続けた唯一の本流181系のサロであるが
「とき」消滅後廃車にならずに
なんとサロ110-301に改造されて
東海道東京口ローカルG車に割り当てられ
平成の世まで生き残ることになる。

とき クハ181-45

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昭和39年とき増発用先頭車として発注された
クハ161-5として161系最後の増備車
しかし151,161系の181系化改造計画によって
落成時にはクハ181-45として昭和40年落成。
大型の跳ね上げ式のボンネット点検蓋と
ショートスカート、丸タイフォン穴の組み合わせは
クハ181-44とともに昭和40年落成車だけ。

このクハ181-45は1月から「とき」用の先頭車として
活躍し44年の「とき」車新潟一括転属以後
最後まで新潟を離れることなかった生粋の雪ん子。

モデルは上越新幹線開業の昭和57年11月直前のころ。
このころはクーラーキセなどがグレーに塗装されていて
へたったシート、不安になるくらいの横揺れもあいまって
本当に老朽感が漂っていたものである。

昭和61年除籍後、長く上沼垂で保存され
鉄道博物館開館に伴い同館に移され保存されている。

2022年6月

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