改造サロとともに「とき」最末期の象徴だった
G車格下げのM、M'の200番台。
モハ180-202号車は昭和41年モロ180-102として
新潟に「とき」の増発用として新製配備され
1等、G電動車として活躍したが
昭和53年の「とき」の食堂車廃止、G車のサロ化によって
G車としての荷を解かれ相棒のモロ181-102とともに
格下げ改造を受けモハ180-202となる。
このときすでに上越新幹線の開業は秒読みに入っていて
かつてのクロハ-クハ化のときのような大掛かりな改造は
許されず、専務車掌室と荷物保管室をつぶして
客室化して窓を開ける小改造に留まった。
そのため窓割とシートピッチが一致していない。
外観がモロ時代とほとんど変わらないため
この200番台ユニットがサロの隣に連結されると
まるでG車が4両連なっている様に見え
かつての東海道時代をほうふつさせた。
このモハ180-202はなんと昭和54年に
踏切事故で相棒のモハ181-202を失うことになるのだが
変わりに相棒として抜擢されたのは休車となっていた
モハ181-29である。
このモハ181-29は昭和36年製の東海道、山陽流れであり
最末期の「とき」において最古参、唯一の旧151系であった。
そして昭和57年、老朽化のため上越新幹線開業を待たずに
その波乱に満ちた人生を閉じることになる。
モデルは実車どおりモロ180からの改造。
それとモロもしくはサロのガラスパーツおよび
サハもしくはモハ180のシートパーツが必要。
専務車掌室の窓を埋め、
新しく他の窓と同じ大きさの窓を開け
他の改造等で余ったサロのガラスをはめ込んだ。
シートは余っているモハ180から調達した。
台車は新製181系なのでDT32に振り替えた。
蛇足だが種車のモロ180は「とき」セットの発売時に
追加で単品も発売されたもので
セットもの以外の単品は出回ってる数が非常に少ない。
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