2008年5月アーカイブ

モハ180-54

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クーラーの配置特徴的なモハシ改造のモハ180.
中でもこの54号車は改造時にベンチレーターが追加されず
また車端の換気扇も旧客室側にしかない変形車。
ただしクーラーの配置は厳密にはモハシのままでなく
旧ビッフエ側の二つを中央寄りに移設している。

この車両は経歴も少し変わっている。

昭和33年ビジネス特急「こだま」のビッフエ車として華々しくデビュー。
東海道新幹線開業後、山陽に流れたが
相棒のモハ181-4を100番台新製車のモハ180-115にとられ
しばらく休車となる。
45年10月にモハ化改造されると同時に新しい相棒モハ180-25を
モハシ180-11から譲り受け復活!
47年に新潟にやってきて、そして51年に廃車となる。

モロ181-5

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前述のモロ180-5の相方であり
履歴は同じく昭和35年新製。
昭和47年新潟転属、50年廃車。
昭和36年までのM車は避雷器はLA13であった。
後年LA15系に変えられたものも多いが
この車は廃車時までLA13を付けていた。
またパンタ台も原型の背の高いタイプのままである。

クハ181-65

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TC181_65_080524.jpg

元パーラーカー、クロ151-10(クロハ181-10)。
この車とクハ181-10は乗務員扉上の水切りが
なくてどことなくスマートに見える。


昭和36年製のこの車両は
昭和47年に山陽を追われクハ化され上越にやってきた。
50番台車は基本的にショートスカート化されているのだが
この車両だけは何故かロングスカートのままだった。
九州乗入改造車ではないがタイフォン穴は
オリジナルではなくクハ1次車改のような離れたタイプ。

昭和47年以降のオリジナルクハの新潟転入車は
基本的にスカートがロングのままだったので
あまり目立つ存在ではなかったが
昭和53年9月まで生き延び50年の大量廃車のあとは
最後のロングスカート車として東海道の面影を伝えていた。

この車両も向日町でミラーの撤去が行われており
支柱を含めミラーは付いていない。

サロ181-1105

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TS181_1105_080520.jpg

昭和53年に登場したMG、CP付きの新製G車。
全部で6両製造され前述のサロ181-1050番台や
サロ180-1001と編成を組んだほか
この1100番台同士でも編成を組んでいた。
やはり「とき」の廃止が秒読みに入っているため
すぐに485系にコンバートできるように
サボ受けがあるほかはサロ481-1000番台と
まったく同じで当然車体の断面、高さも181系と異なり
凸凹編成になったのは1053で述べたとおり。

この1105は昭和57年12月予定通りサロ481-1505に改造され
青森に移りその後格下げ先頭車化改造され
クハ481-1108として勝田でその生涯を終えた。

サロ181-1053

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TS181-1053_080520.jpg

昭和53年改正で「とき」は遂に食堂車を外し
モロをサロに入れ替え183系と編成をそろえるようになった。
また編成3MG,CP化を行うことになり
CP、MG搭載のサロ181-1100番台を新製した。
不足分は前述の<a href="http://ayu2.com/train/2008/04/180-1001.html" TARGET="_blank">サロ180-1001</a>と3両の初期製造の
サロ481をコンバートして使用することになった。

クロハ181-1

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昭和35年の「つばめ」電車化にそなえて新製された
元クロ151のトップナンバー。
昭和48年5月の181系の山陽路撤退まで向日町にいた1両。
東海道新幹線開業で向日町に移って181系化されたが
東海道に比べ1等車の乗車率が悪く
41年には開放室を2等車化してクロハ181-1となる。
更に昭和45年ごろまでにはミラーがステーごと外され
連結器カバーが交直流車と同様に赤1色になる。
また運転席上のウインカーランプも外されている。
向日町晩年の同車はご覧の通り
ヘッドライトだけが銀縁でテールライトは赤く塗り潰されていた。
スカートはオリジナルと同じようなものが付いているが
元九州乗入対策車でありオリジナルのスカートではない。

山陽路撤退後はクハ180-53に改造され長野に移るが
約2年後の51年1月に廃車となる。
他の最終組みのクロハ2両も同時期に廃車となっており
クハ化の際車体をほぼ新製しているので
なんとももったいない話である。
歴史に残る大窓の元パーラーカーの優美な車体を
1両くらい保存できなかったものか。

クハ181-7

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新潟で末期までロングスカート、帯無だったのは
このクハ181-7ただ1両のみ。
昭和36年東海道特急大増発のため新製され
39年新幹線開業で東海道を追われ山陽へ。
さらに47年に新幹線岡山開業で向町を追われ
新潟にやってきた。
ミラーが綺麗に撤去されていたり連結器カバーが赤1色だったり
山陽の面影を強く残している。
ただロングスカートの裏にダブルのスノープロウを
装備してあって足回りが少し重々しい。

この車を含めて東海道時代に新製されたクハは
全車昭和50年から51年にかけて廃車になった。
さすがに東海道、山陽と長距離の仕業が続き
老朽化も早かったのであろう。

モロ180-5

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サロ181のオリジナル車とこのモロ180の6号車までは
専務車掌室の反対側がビジネスデスクになっていた。
サロは客窓と同じ大きさの窓があるのに対し
モロ180は一回り小型の窓がついていた。
このモロ180-5は昭和35年のつばめ電車化時に新製され
東海道新幹線開業後山陽へ流れ
昭和47年に新潟にたどり着いた車。

この車をはじめビジネスデスク付きの車両9両は
すべて昭和50年度までに消滅した。

モハ180-202

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改造サロとともに「とき」最末期の象徴だった
G車格下げのM、M'の200番台。
モハ180-202号車は昭和41年モロ180-102として
新潟に「とき」の増発用として新製配備され
1等、G電動車として活躍したが
昭和53年の「とき」の食堂車廃止、G車のサロ化によって
G車としての荷を解かれ相棒のモロ181-102とともに
格下げ改造を受けモハ180-202となる。
このときすでに上越新幹線の開業は秒読みに入っていて
かつてのクロハ-クハ化のときのような大掛かりな改造は
許されず、専務車掌室と荷物保管室をつぶして
客室化して窓を開ける小改造に留まった。
そのため窓割とシートピッチが一致していない。
外観がモロ時代とほとんど変わらないため
この200番台ユニットがサロの隣に連結されると
まるでG車が4両連なっている様に見え
かつての東海道時代をほうふつさせた。

このモハ180-202はなんと昭和54年に
踏切事故で相棒のモハ181-202を失うことになるのだが
変わりに相棒として抜擢されたのは休車となっていた
モハ181-29である。
このモハ181-29は昭和36年製の東海道、山陽流れであり
最末期の「とき」において最古参、唯一の旧151系であった。

そして昭和57年、老朽化のため上越新幹線開業を待たずに
その波乱に満ちた人生を閉じることになる。

 

クハ181-109

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クハ180-5とともに181系最後の新製車として
昭和44年に落成。
長く長野にいて「あさま」の先頭を勤めたが
「あさま」189系化に伴い昭和50年新潟に転属。

長野の車両は美しいものが多く
このクハ181-109もバックミラーが残るなど
新潟移籍時にはピカイチの存在であった。
だが新潟の雪の破壊力はすさまじく
1年後にはミラーは支柱を残して失われている。
模型はミラーが残っていたときの姿。

上越新幹線開通後の昭和59年に
485系の制御車クハ481-501に改造され復活。
平成5年に鹿児島でその生涯を終える。

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