2009年10月アーカイブ
元は昭和11年に中央線急行用として新製配備されたクモハ51008。
中央線用に新製されたクモハ51は番号に関係なく全車奇数向き。
さらに010までは以降のものと異なり半室運転台のため
運転室、助手席側ともに直後の窓の位置が異なる。
その後全室運転台化され助手席直後の窓が埋められる。
その後関西に移っって身延入りまで長く在籍したので
関東生まれなのに関西型Hゴム前面窓や
大鉄式ベンチレーター装備、Hゴム化された運行窓等
こってり関西系の顔をしている。
昭和45年身延線転出に際し低屋根化、方転しクモハ51 810となる。
昭和56年、身延線新性能化に伴い廃車。
この車両も身延のゲテ物になろうか。
経歴は間違いなくゲテ物。
元をただせば昭和8年製の両運車クモハ42012.
昭和19年3扉化計画、クモハ51073に改番。
実際は台車を交換したのみで改造されず。
その後後部運転台を撤去しただけで2扉のまま
乗務員扉もそのままの姿であったが
阪和線転属後昭和28年についに3扉化改造され
後部乗務員扉も撤去されそこには550mmの窓がついた。
さらにモーターもMT30に転装され本来なら
クモハ54となるべきところだが車番は変わらなかった。
さらに昭和45年身延線に転出に当たって
パンタを後部に移し低屋根化して
クモハ51830になり転属後しばらくは
阪和線のオレンジの塗色のまま活躍した。
他の車両はパンタの移設に当たって
パンタのあった場所にはベンチレーターが
設置されたがこの車両は御覧のように
設置されることはなかった。
昭和56年廃車。
今日話題沸騰中のTOMIXのC57135号機を引き取ってきた。
とりあえずパーツすべて取り付けた後走らせてみた。
本当は62系客車を牽かせたかったのだが
あいにくC58139号機とともに後ろに見える181系の後ろの
引き出しのめんどくさい場所に留置されているので
何故か戦前の赤帯三等のスハ32系の編成を牽いてもらった。
噂通り走りはすばらしい。
客車との縮尺のバランスも素晴らしい。
詳しくは
左は何故か戦前型国電の中に紛れ込んだ
80系の付随車のトップナンバー、サハ87001。
スカ色化されているものの塗り分けラインが
80系のままで多車とズレていて結構目立っていた。
GMのキットをそのまま組んだもの。
サボ受けだけは飯田線時代の位置に移設しておいた。
昭和53年、豊橋口30番台運用が
本来の仲間の80系300番台に変わったときに
その仲間に追われるように流電とともに引退。
右は流電とともに関西急電の奇跡の生き残り
元サロハのサハ48034。
ただし流電編成のサロハではなく後継型の
「相の子」のサロハ。
TAVASAのきっとの素組。
仲間たちが横須賀線で昭和30年代後半にこの期に及んで
次々と流麗な車体に大穴をあけられ3扉化されるなか
この車両だけ奇跡的に原型のまま生き残った。
これも昭和53年流電とともに引退。