2012年6月アーカイブ

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 とりあえず片面だけ。

マロネ37350 特急「富士」

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 マロネ37350とマロネ37396。
富士セットの妻床板が金属の旧セットに入ってた車両と
ヤフオクで買った単品のやはり妻床が金属の旧キット。
番号はキングスの旧インレタに入っていた2両をそのまま使ったが
奇しくもトップナンバーとマイナーチェンジ前のラストナンバーになった。
かなり重い旧キットの7両編成だと
有井のC53もさすがに少し空転気味。
しかも車高下げ改造でウエイトを削っているからなおさらである。

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 KATOのマイテ49よりの小改造と塗り替え。
古くからあったKATOのマイテ49。
出来は良いのだがデッキなどは戦後の仕様で
床下機器の配置などは戦前仕様という
よくわからない時代考証になっていたので
どうせなら戦前の「富士」の仕様にしてしまった。

展望デッキは柵からテールマークと尾灯を
綺麗に削り取って
(意外に難しく左側は失敗気味)
右側下部に新たに標識灯と
訓令式ローマ字「HUJI」のテールマークをつけ
さらにガイアのぶどう色1号に塗り替えて
レタリングを2段標記でスイテ37041にした。

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 マイネ37130。
妻、床が金属の富士セットの旧製品キットを組み立て完成。
どう調整しても屋根端に隙間が空くが仕方ない。
この車両室内全部が区分室のため
窓の数が少なくリベットだらけの車体もあって
かなり重厚感あふれる車両である。

実車は
特急「富士」用として1930年に鉄道省大宮工場で製造。
昭和16年にマイネ38 1と改称。
戦後接収され冷房取付、接収解除後
「十和田」等で使用。
昭和30年、旧一等寝台廃止に伴いマロネ49 1になる。
その後「銀河」「彗星」で使用ののち
昭和35年 オシ17 8の種車となって生涯を終える。

ちなみにこのオシ17-8はのち電暖取付でオシ17 2018になり
昭和47年11月6日に30名もの死者を出した
北陸トンネル火災事故に火元になった。

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 スロ30750.。
キングスの妻、床がプラになった新キットを完成。
旧キットに比べリベットの2列表現等細密化され
組み立ての簡略化のためシルのリベットが凹表現になった。
ゴテゴテとした感のある旧キットに比べて
あっさりさっぱりしたディテール表現になった。

実車は
化粧室を2箇所と給仕室を設備した転換式腰掛をもつ二等車として
昭和5年に製造され当初の目的通り特急「富士」「燕」などに組み込まれる。
昭和16年の称号改正でスロ34 1となる。
戦後昭和38年にオハネ17 163の種車となり生涯を終える。

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 キングスの妻板床版が金属の旧キットのスイテ37。
とりあえず完成にした。
ガイアのブドウ色1号はやはりちょっと黒すぎかもしれない。
所属表記などはこの当時「東トウ」なのであるが
2004年に東シナなどが東京総合車両センターに
統合されてこの「東トウ」の表記が
70年の時を経て復活した。
ただインレタはまだ無いようであるので
もうちょっと無所属?のまま。

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実車の車歴としては・・・・
昭和5年3月までに特急「富士」の
鋼製展望車として37000から37003の
3両がそろったという話だが
実際には37000は昭和4年度中には
すでに富士の編成に入っていたという説もある。

その後スイテ381と改称、
戦後は接収解除後、戦後の特急展望車として復活した
僚友のスイテ382やマイテ39などと異なり
復活はせずそのままオシ174の種車として消える。

模型ではいつまでも戦前「富士」の殿として
いつまでも走り続ける。

C53 41 (特急富士)

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 やっと完成した。

有井のC5345デフなしから。

加工点は
前デッキを裏から筋を入れて角度を急に。
車高を1.5mmほど下げた。
キャブ窓を少し大きくした。
ヘッドライトをKATOのC57用に交換。
適度なディテールアップ。
再塗装(黒や青系統等を適度に混合した)。
といったところか。


ナンバープレートはレボリューションのC53形式入り
C5341は特定番号機というわけではなく
標準的なC53と思われるディテールにした。

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 正面から。
これでなんとなく違うような有井の
C53が結構まともになった。

C53もやはり有井の製品が一番牽引力があり
重たい金属車両を牽かせるにはどうしても必要なので
有井C53が似ているようにできるのは非常に有意義である。
そのうちにもう1両くらい増備しようと思う。

(捕捉:C53 41号機は後に大鉄デフ+20立方テンダー振替で

な特急仕様機。なので後日またナンバーを変えた)

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 戦前「富士」のもう一つの1等車であるマイネ37130。
2両目なのでだいぶ勘は戻り
少しはまともに組めるようになった。
後は塗装を待つのみ。
こちらは区分室側。

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 こちらは通路側。
マイネ38は今で言う全室コンパートメント寝台で
片側通路のためこのように左右で窓配置が全く異なる。
定員はなんと19名しかない。

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 スイテはとりあえずなんとか体裁を整えて
あとは塗装とベンチレータの取り付けのみとなった。
11両目の一等展望車。
これでダブりはあるが奇しくも戦前の鉄道省の
展望車の実車数と同じ両数になった。


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スロは後はレタリングや仕上げを残すのみ。
ガイヤカラーのぶどう色1号は戦前の磨きこまれた
特急用客車のイメージピッタリである。

特急「富士」 スイテ37000

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禁断の果実食べ始めてしまった。
まずは最後尾の一等展望車から。

久しぶりに本格的な金属キットを
半田付けで作ってるので
イマイチ、失敗が多い出来になった。
やはりウインドシルと2段雨樋の半田付けは
久しぶりに行うとかなり難しい。
でも、とりあえず2時間でここまで出来た。

こんな出来でも丁寧に塗装すれば結構見まともに見える。

特急富士

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 禁断の果実を食う前に・・・・・
家にある1等展望車を並べてみた。

ここにあるだけでも10両。
手前左 スイテ481戦後(キングスキット組み立て)
中列左から
マイテ391青大将(キングスキット組み立て加工)
マイテ3921戦後(キングスキット組み立て)
マイテ492青大将末期(KATO完成品改造)
マイテ491戦後(KATO完成品改造)
スイテ372戦後(KITCHNキット組み立て)
マイテ391戦後(KATOつばめセットそのまま)
マイテ3921青大将初期(KATO青大将セットそのまま)
後ろ左から
マイテ581青大将(KATOはとセットそのまま)
マイテ492戦後(KATO単品完成品)

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 そして禁断の果実のキングスの富士セット。
キングスホビーも休業してそろそろ手に入らなくなるかも
と思って手に入れた。
ただし妻板と床が金属の旧セット。
前述のスロとあとマロネを加えれば
昭和5年のフル編成になるが
マロネの単品はまだ手に入っていない。

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キングスホビーのスロ30750(スロ34)キットで
あるが2時間でここまで出来上がった。

キングスのキット、PWシリーズになって
ウィンドシルの半田付けは必要なくなったといえ
久しぶりに半田付けで組んだので
特に2段雨樋などチョット苦労した面もあるが
とりあえず戦前特急プロジェクト?の
最初としてはまあまあなスタートか?

スロ30750(スロ34)

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C53に牽かせる戦前型のダブルルーフの客車を
久しぶりに作りたくなってまずはキットを買った。

キングスホビーのスロ34(スロ30750)。


旧客キットをずらっとラインナップしていた
キングスホビーもこの春遂に休業してしまった。
このキットも探してやっと手に入れたもの。

PWシリーズとして改良して発売されたキット。
床と妻板などがプラ化して軽量化されたのと
縦2列リベットの表現が加わった代わりに
シルヘッダーのリベットを簡易表現にして
組み立てやすくしたキットである。

久方ぶりに半田付けで組むか!

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