前述の通りGMのクハユニ56は窓配置間違えてるので
RMMODELSの記事を参考にクハ55の側板を使って
前位の客扉から後を入れ替えて正しい窓配置にした。
前述の通り扉間及び扉後の窓はすべて800mmである。
作例は運転席窓がHゴム化される前の
40台運用として3連を組んでいた時の姿。
この改造、結構めんどくさいから何とかして欲しい。
ついでにGMの旧国キット、
平妻と半流の長さも幅も揃ってなくて
定番の半流41系(51系)への改造も
屋根を継ぎ足さねばならない。
前述の通りGMのクハユニ56は窓配置間違えてるので
RMMODELSの記事を参考にクハ55の側板を使って
前位の客扉から後を入れ替えて正しい窓配置にした。
前述の通り扉間及び扉後の窓はすべて800mmである。
作例は運転席窓がHゴム化される前の
40台運用として3連を組んでいた時の姿。
この改造、結構めんどくさいから何とかして欲しい。
ついでにGMの旧国キット、
平妻と半流の長さも幅も揃ってなくて
定番の半流41系(51系)への改造も
屋根を継ぎ足さねばならない。
ドアの形状が運転席後ろ側を除いて
中桟のある古いタイプであったので
急遽色をはがしてドアをタバサのパーツに換えた。
前面は運転席側の窓の上の桟が太く
そこにワイパーアームが取り付けられている。
43系の中でもこの下向きのワイパーアームは異色。
前述の通り
この模型実家で横須賀線付属編成の
電動車として挟まっていたやつよりの改造。
実車同様茶色-旧スカ色-新スカ色と塗装変更となった。
昭和12年に生まれ最後は47104と組んで
昭和58年の飯田線旧国最後の日まで活躍。
昭和12年製造の54は当年度の51とほぼ同じ外観。
従ってシルヘッダー、リベット車体であるが
このタイプの54は実は2両しかなく
どちらも末期は飯田線にいた。
飯田線に最後の42系クハ。
昭和8年にクハ58007として生まれ
改番時に下り向きになったが
飯田線転入時にまた上り向きになった。
飯田線では快速塗装になって活躍後
最後は54002と組んで飯田線旧国最後の日を迎える。