春休みも終わってすいただろうということで大宮詣で
エントランスでコノデゴイチの前頭部がお出迎え。
万世橋の旧交通博物館のエントランスににあった
ものを移設したもの。
一緒にあった新幹線0系の先頭部は中にある。
そしていきなりお目当てのマイテ39.
富士のテールサインをつけ
戦前の東京駅のホームをイメージした飾りつけだが
車体も色も(クリーム帯)も標記も(マイテ3911)戦後仕様。
一応テールランプを右側だけの点灯として
戦前の雰囲気を醸し出させている。
永らくの屋外保存で傷んでしまった展望室も
さすがに宮大工の問題や技術金銭など
さまざまな問題によりもとどうりに復元できなかったのだが
最新のFRPのコピー&塗装技術で復活した
桃山式の展望室。
相当よく見てもイミテーションとはわからない。
ここも絨毯床、横引きカーテンなどの戦後仕様。
残念ながら1等客室は復元されていなく
ブラインドが下ろされたままで室内は未公開。
最初の鋼製客車オハ31の26号。
最後の働き先の津軽鉄道から
ストーブ列車として運行していた車両を贈与されて
鉄道博物館で展示するに当たり
昭和初期の姿に復元した。
オハ31の室内。
非常にきれいに丁寧に復元されている。
ダルマストーブは津軽鉄道時代のもの。
戦前は結核予防法の関連で淡ツボが必ず装備されていた。
一応フタはされているがそのあとはこのように認められる。
EF55。
御存じのとおり高崎で動態保存されていたもの
SLによる最後の通常営業旅客列車の牽引機の
百恵ちゃん号ことC57の135号機。
何故かさくらのヘッドマーク。
センターの転車台の上をキープ。
もちろん元旧交通博物館のエース展示物。
新津で保存されていた旧161系最後の生産車の
クハ181-45。
当然最初から最後まで新潟生え抜きの
「とき」のためだけに生まれて走りぬいた車両。
このクハ181は運転席にも入れる。
普段はかなり順番待ちをするのかもしれないが
小学生の全くいない今日は
待ちもなくすんなりと。
新幹線開業のイメージで0系。
汽笛一斉新橋をのイメージで1号機関車。
鮮魚列車のレムフ。
鮮魚列車の先頭は当然EF66.
これも運転台に上がれる。
ナハネフ22は寝台の解体作業中?
セット作業中か?
左端にはナハネフの大きな模型。
交通博物館はこのような大型の模型が大量にあって
非常に貴重だったのだが鉄道博物館での展示は
一部にとどまっていて少し残念。
二つ並んだブレーキ弁や大きな手動進段のノッチが
勇ましいEF58のパック(89号機)の運転席。
青梅鉄道公園にあったC51の5号機は
簡単なお召装飾されて御料車群の先頭に。
日本で唯一残る大鉄形のデフが勇ましい。
残念ながら御料車はすべてガラスケースの中。
特定日には公開されるらしい。
この車両は木造展望車スタイルの10号御料車。
明治天皇が関西の鉄道開業のときにご乗車された
1号御料車(旧1号)。
日本に残る最古の客車である。
もちろん単車。
国の重要文化財にも指定されている。
疲れたので一休み。
と思ったら73系の車内の一部だった。
これも作り物ではなく
73系の成れの果てのクモヤ90から
73系に整備された直後の状態に復元されて
持ってきたものだそうだ。
展示再開されたDD13の1号機とキハ11は
ずいぶん離れたところに展示されている。
後ろには上野東京ラインが走っている。
帰りは歩き疲れたのでこいつに乗って帰ってきた。
後ろのグリーンライナーは休憩室&飲食スペース。
2階からヒストリーゾーンを一望。
まだまだいっぱいあるがもう紹介しきれないのでこの辺で。
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