標津線、根室標津駅跡に今も残る転車台。
ピットの中に多少水が貯まっているのは気になるが
転車台そのものは最近再塗装されたらしく
ピカピカだった。
こんな感じで説明書きの看板もたっている。
これによるとこの転車台は標津町の史跡に指定されている。
こんな感じで表通りからの案内看板も
出来ていた(これは新しい)。
ちなみに2003年8月にもここを訪れているのだが
この時は転車台の案内看板や説明の看板などなく
このように半水没状態で忘れられたように
草むらの中に埋没しかけていた。
ただ今から思えばこの時ですでに
駅の廃止から14年、何らかの手が加えていなければ
原形などとどめているわけないので
多少の整備はしていたと思われる。
レールは桁に締結されているタイプで動力は人力。
おそらく18mクラスのC58がぎりぎり乗るサイズ。
看板との位置関係はこのような感じ。
このまま定期的にメンテナンスされて
いつまでも永遠に残ってほしい。
次に来るのは何年後なんだろうか?
こちらが根室標津の駅舎があった場所。
駅舎自体は廃止後間もなく取り壊されたよう。
今では駅舎のあった場所は駅の表と裏側をつなぐ
道路になっている。
そして地方の街にありがちの
人口に比して非常に立派な文化ホールの前には
標津線を走ったC11が保存されている。
C11 224号機である。
C11はデフの前のスペースがもともと広いので
デフの切詰されたC11は北海道でも見たことはない。
ロッドの位置にもう少し気を使ってもらいたかったが
保存状態としてはところどころ錆も浮いているが
海が近いこの場所にしてはまあまあ合格点。
この説明では1か月違いで標津線最後の蒸気ではないということだが
まあ全検の関係で切れたものから火を落としていったのだろうから
まあ最後の蒸気たちと言っても問題ないであろう。
ただ実はこの224号機、いかにも道東のカマと言う装備をしているが
標津にやってきたのは廃止の前年の49年らしいので
実際はここでは1年しか活躍していない。
その前の所属は大湊だったらしいので
どちらにせよ北のカマではあったわけではある。
助手席側後方から。
実は駅前にはキハ22も保存されていたそうなのだが
前回の幸福駅の所で書いた通り
老朽化が激しく解体されてしまっている。
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根室標津から二つ目の上武佐駅跡。
駅は映画のロケ地だったらしく
ロケのセットだった?建物と看板が残っている。
この看板の通り、ここが駅舎だった場所らしい。
森に帰りつつある。
以前はプラットホームの後が残っていたらしいが
探したがどこも草ぼうぼうでわからなかった。
あとこの駅と根室標津の間に川北と言う駅があったのだが
そこには木製のホームとキハ22が保存されているという噂であるが
今でも残っているかは不明。
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