道東の鉄道遺産(最終回 未成線越川橋梁、湧網線のキューロク他 8/17,18)

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今国道244号が超える知床半島の付け根を突っ切る

斜里-標津間の根北峠を越えようとする鉄路があった。

それが根北線である。

実際には斜里-越川の12.8キロが昭和32年に完成したのみで

昭和45年に赤字ローカル線としてそれすら廃止されてしまった。

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その国道244号を越川から根北峠方面へちょっと走ると

この有名な越川橋梁が現れる。ここは越川以遠の未成区間である。

現在登録有形文化財に指定されているこの陸橋

正式には「第一幾品川橋梁」という元10連のコンクリートアーチ橋で

国道の拡幅時に3連分が取り壊されて

斜里側6連+標津側1連になっている。

こちらは斜里側の6連部分。

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同じく斜里側6連。

こうやって見ると橋は右カーブを描きながら

急な上り坂になっていることがわかる。

橋は長さ147mで勾配は25‰と未電化ではほぼ限界こう配である。

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道路の反対側の標津側。

覆い茂ってしまった樹木で先は見えないが

この1連のみである。

ただこの先の土手にはこのままではつながらないため

本当はもう1連プラスの11連になる予定だっという話も・・。

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この陸橋の標津側に並行して道があるのだが

固く門が閉ざされていて残念ながらこの位置までしか行けない。

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話変わって旧湧網線の跡地を利用した

網走常呂自転車道(オホーツク自転車道の一部区間)である。

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湧網線の内、網走の大曲から所の手前までの区間が

ほぼそのまま自転車道になっている。

大曲からしばらくはこのように国道の脇の森林の中を走る。

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卯原内の駅跡に保存されている道東のキューロク。

この風光明媚な湧網線を走ってたであろう北見のカマ。

大正 9年8月川崎重工兵庫工場で製造
昭和 8年4月 原の町
昭和20年9月 北見
昭和45年3月 北見で廃車

と北見所属が非常に長い機関車である。

北海道のキューロク特有の前面デッキの

柵状の手すりは現役の時には装備されていたようだが

今現在は取り外されているようだ。

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キャブにはボイラー交換の証が(ボイラーは59696)。

ちなみに59696の廃車は昭和49年3月に稚内なので

59696はまた違うかものボイラーに

載せ替えていたのではないかと推測される。

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こんな感じでオハ47508とつながっていて

ホームとともに保存されている。

客車の色や表記の微妙車は仕方がないにせよ

定期的に塗り替えなどのメンテはされていて

寒風吹きすさぶ塩湖のすぐ脇の保管の割には

状態は悪くない。

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昔は車内の一部が畳敷きか何かに改造されていて

宿泊も可能だったが今は車内には入れなくなった。

車内は原型に戻されているようだ。

窓側にもある手すりと通路側せずりの頭持たせが

元急行用客車の証として残る。

ただ手すりや壁も含めて茶色く塗られているが

本来の色は灰色で決して木造ではない。

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混合列車の多い道東の客車の特徴となるこの温水暖房装置。

これが装備されたことによって

間に貨車が挟まって機関車から暖房感が引きとおせなくても

蒸気暖房が使えダルマストーブがお役御免になった。

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お決まりの駅名標。

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そして7キロくらい走ると能取の駅跡。

ここは昔は交通公園として整備されていて

スハフ42の保存と駅舎跡地のゲートボール場があったのだが

車両は解体され、ゲートボール場は草ぼうぼう

ホームは崩れかけとすでに忘れられ始めており

そのうちに地に帰ってしまうのであろうか?

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線路跡自転車道は能取を過ぎると

坂を上って能取湖からオホーツク海に出る。

右奥が能取方面。

常呂手前の常呂川を渡る橋は当然残っていないので

その手前で自転車道は線路跡から離れて道道の歩道と共用になる

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常呂駅跡

駅舎は廃止後まもなく取り壊され

常呂のバスターミナルちょっと洒落た建物が建ったが

今はこの通りそれも取り壊されて

仮説みたいなトイレの建物が残るのみ。

ここからは100mほど湧網線後の自転車道が復活し

そこで湧網線跡は完全に姿を消す。

自転車道も鉄路と離れサロマ湖栄浦方面へ続く。

道東の鉄道遺産2015終わり。

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このページは、ayu2が2015年8月31日 08:52に書いたブログ記事です。

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