現役当時(昭和43年頃)の姿。
有井のC62なのだがいまいち似ていないので
徹底的に改造した。
前照灯、補助灯、キャブ下、ドームの形状、手すり
、配管、煙室エプロン、従台車の移設等
かなりの大改造となった。
塗装は北海道の汚いカマのイメージを再現すべく
ドライブラシでかなり汚した。
実機はデフの点検窓が目いっぱい後よりなのだが
それだけは未施工。
重連の相棒には一番調子が良かったカマと
言われた32号機を計画していて有井のC62を用意しているが
KATOからC62リニューが発表されてかなりモチベーション下降中
3号機は2号機などと違って、
当初特急牽引のない梅小路に配属されたため
東海道時代はあまりぱっとしなかった。
このカマが輝いたのはやはり北海道に渡ってから
雪の北海道で
急行ていね、あかしや、まりも、ニセコの先頭に立つ姿は
今でも記憶に新しい。
また昭和62年から足掛け8年にわたる復活運転も記憶に新しい。
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